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会長退任・羽生善治“60代でのA級棋士”はあり得るか…残酷な「順位戦降級と50歳前後の壁」谷川浩司ら永世名人資格者はどう向き合ってきた?
posted2025/04/13 06:00

谷川浩司と羽生善治。それぞれ永世名人の資格を持つ2人にあって、順位戦をどのように戦うかにも注目が集まる
text by

田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
Yuki Suenaga/Kiichi Matsumoto
日本将棋連盟会長の羽生善治九段(54)は今年6月に任期満了をもって退任し、次期理事選挙に立候補しないことを表明した。いろいろな事情や思いがあったようだが、前期順位戦でB級2組に降級したことも一因だと推察される。
永世名人の資格者が順位戦でA級から降級した場合、その去就が大いに注目される。永世名人の地位とはそれほど重いものなのだ。過去の事例やエピソードを田丸昇九段が紹介する。【棋士の肩書はいずれも当時】
大山は現役A級のまま69歳で死去
大山康晴十五世名人は、名人在位が通算18期という最多記録を保持している。それが途絶えたのは1972(昭和47)年の名人戦で、挑戦者の中原誠八段に敗れた。当時49歳で、メディアは「巨星堕つ」と形容した。
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大山はその後、名人に復位できなかったが、順位戦でA級にずっと在籍した。降級したら引退すると公言し、その矜持を持ち続けていた。時にはA級降級の危機に陥ったこともあったが、強靭な勝負術で乗り切った。
91年10月にガンが再発し、手術を受ける前に順位戦の対局を4日間で2局も指した。不戦敗による降級を避けるためだった。92年1月に復帰すると、順位戦で3連勝して4者プレーオフに進出した(結果は1回戦で敗退)。そんな驚異の復活劇について、主催紙は「まさに不死鳥」の見出しを付けた。しかし、ガンは完治したわけではなかった。92年7月に体調が急変し、大山は現役A級のまま69歳で死去した。
「引退しないのか」批判的な記者に迫られた升田
大山十五世名人の宿命のライバルと言われたのが升田幸三実力制第四代名人である。大山と並んで昭和棋界に君臨した。
升田は1957年にタイトルを独占し、初の三冠王(名人・王将・九段)になった。59年の名人戦で大山に敗れた後、順位戦でA級にずっと在籍した。その間に名人戦の挑戦者に4回なり、いずれも大山に敗退したが名勝負を繰り広げた。升田はA級で負け越したら引退すると公言し、単年度で3敗までしか負けなかった。しかし、75年度に4勝5敗で初めて負け越した。
升田に批判的なある新聞記者は、このように迫った。