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「さよなら! お台場の大観覧車」から2カ月…あの跡地は今、どうなった? 「金融ビジネス街&タワマン20棟以上」日本人が忘れた“お台場の夢”
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byJIJI PRESS/Masashi Soiri
posted2022/10/24 11:03
8月末に惜しまれつつ営業終了したお台場の大観覧車(左)。10月上旬に訪れたときにはここまで解体が進んでいた(右)
そこで東京都は都市博会場予定地をやむなく10年の暫定期限を設定して民間企業に貸し付けることにした。それに手を挙げたのが、森ビルや三井物産で、1999年にパレットタウンとしてオープンしたのであった。このままでは不毛の地のまま終わってしまいかねないお台場に集客施設を設けるというのが狙いだったようだ。
シンボルの大観覧車もパレットタウンと同じタイミング、1999年3月に開業する。高さ115mは当時世界最高だったとか。一周するのに約16分、ゴンドラは64台あって、そのうち4台は床下も素通しのシースルー。高所恐怖症の人なら卒倒しそうだ。
パレットタウンはこの大観覧車や商業施設のヴィーナスフォートの人気もあって、当初の想定を上回る来場者で賑わった。初年度の来場者数は予測の1.6倍、実に約3500万人に及んだという。そうしてフジテレビ(『踊る大捜査線』)の効果も相まって、お台場の知名度は飛躍的に向上。いまのような、東京の人たちが週末に気軽にやってくる行楽地に成長していった。
つまり、パレットタウンと大観覧車は、ただのシンボルにあらず。お台場の救世主なのである。
大観覧車の賑わいは“想定外”だった
最初の予定では2010年までにパレットタウンも観覧車も撤去されて土地は東京都に返還されるはずだった。しかし、想定外の賑わいとお台場の行楽地化で状況は一変。貸付期限にあわせて東京都は森ビルとトヨタ自動車に用地を売却し、新しい観覧車やホテル、商業施設などを中心とした大型施設に生まれ変わる予定も発表されている。
ただ、ここでもさらに時代の荒波がお台場を翻弄する。2008年のリーマンショックによる不景気のおかげで、大型施設へのリニューアルはなかなか難しいという話になってしまった。そうして結果的にパレットタウンは生き延びた。新施設の開業は2013年予定だったのが2016年に、そして2024年にまで先送りされ、2025年に多目的アリーナへリニューアルされることになっている。今回の観覧車の取り壊しは、まさにそうしたリニューアルへの準備作業というわけだ。
こうして大観覧車の歴史を辿ると、それはまさしくお台場そのものの歴史であった。バブル崩壊と都市博の中止があったから、大観覧車はお目見えした。それがまた思わぬ賑わいをもたらしたおかげで延命し、新たな施設へのリニューアルはこれまた経済状況に左右されて二転三転。最初は地上23階の高層ビルが建つ予定だったが、バスケットボールで常用される多目的アリーナになるのだ。
いずれにしても、大観覧車がなくなって、お台場のひとつの時代が終わったことは間違いがない。戦後になってから人工的に作られた埋立地・お台場。その栄枯盛衰の歴史は、まだまだこれからも続くのである。
(写真=鼠入昌史)
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