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「嫌だなと思いながら父の横を歩いていました」永島優美アナ30歳が明かす、幼少期に苦しんだ“スター選手・永島昭浩の娘”という視線
posted2022/06/04 11:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Miki Fukano
スタジオを明るく照らす笑顔。それが、アナウンサー・永島優美さんの最大の魅力だろう。
だが、幼少の頃は、テレビ越しに見る明るい永島さんの姿が想像できない時期があった。
人気サッカー選手・永島昭浩の娘に生まれて
「極度の人見知りだったんです」
将来を心配した母は、その性格をどうにか変えるためにダンススクールに永島さんを入れた。人前で踊ることで、少しでも人見知りの性格を変えようと思ってのことだが、週末になると人見知りが露わになった。
「週末は、サッカーの試合がありスタジアムに連れていかれるんですが、それがもう悩みといいますか……」
永島さんの父は、元プロサッカー選手の永島昭浩氏。ガンバ大阪から清水エスパルス、ヴィッセル神戸でストライカーとして活躍し、J1通算165試合61得点という成績を残した。サッカー選手が父ならスタジアムでは「がんばって!!」と応援し、ゴールを決めようものなら大喜びしそうだが、永島さんには遮断したくなるような空間だった。
「家族席にいると『永島選手の娘さん』って必ず言われて。当時はそれが本当にイヤでイヤで。だから、スタジアムに行きたくなかったですし、行っても試合を見ないでコンコースで走り回って遊んでいました。ゴールすると、ウオオオッとスタジアムが揺れるので、あぁなんか起こったのかなとは思うのですが、場内アナウンスで『ながしまー』って聞こえてきたりしても、逆に隠れていましたね」
そのため、父のゴールはほとんど記憶がない。また、合宿や試合で家を空けることが多かったため、帰ってくると人見知りのせいもあるが素直に甘えられなかった。
「遠征などでなかなか家にいなかったので、父は当時の私からすれば、たまに帰ってくる顔の濃い、なんだか怖い人という感じ(笑)。たまに外で隣を歩いていても『あっ永島選手だ。隣にいるのが娘さんか』と言われることも多く、当時は一緒に歩きたくなかったですね。なんで私はサッカー選手の娘なんだろう、という悩みがずっと自分の中にありました」
「サッカー選手の娘」という肩書はついて回ったが…
「サッカー選手の娘」という肩書は、どこに行ってもついて回った。いつの間にか、サッカーを遠ざけるようになり、「サッカーの壁」みたいなものが心に生じた。