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「さよなら! お台場の大観覧車」から2カ月…あの跡地は今、どうなった? 「金融ビジネス街&タワマン20棟以上」日本人が忘れた“お台場の夢” 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byJIJI PRESS/Masashi Soiri

posted2022/10/24 11:03

「さよなら! お台場の大観覧車」から2カ月…あの跡地は今、どうなった? 「金融ビジネス街&タワマン20棟以上」日本人が忘れた“お台場の夢”<Number Web> photograph by JIJI PRESS/Masashi Soiri

8月末に惜しまれつつ営業終了したお台場の大観覧車(左)。10月上旬に訪れたときにはここまで解体が進んでいた(右)

 もちろんご存知のようにバブルは弾け、前のめりのお台場開発計画に暗雲が垂れこめることになる。東武もホテル建設を断念し、伊勢丹も撤退。各企業の進出意欲も冷え切って、高層ビルの建設は相次いで中止に追い込まれてゆく。そうした中で、“夢のお台場開発”にとどめを刺したのが、青島幸男東京都知事による世界都市博覧会の中止であった。開催を翌年に控えた1995年の中止決定だった。

 都市博が中止になれば、ますますお台場の“価値”は低下してしまう。当初は有明などを含めた臨海副都心全体でタワーマンションが20棟以上も建てられる予定だったというが、バブルが弾け散ったからには夢物語。結局、お台場は鈴木俊一知事が思い描いたものとはまったく違う、規模を大きく縮小した形での開発になったのである。

 それでもすでに都市博に向けて開発は走り出しており、1995年にはゆりかもめが開通。1996年にはヒルトン東京お台場とデックス東京ビーチが開業。そして1997年にはフジテレビの本社もやってきた。

 ちなみに、お台場を舞台にしたドラマ『踊る大捜査線』が放送されたのはフジテレビが移転してきた1997年のことだ。まだほとんど何もなかった埋立地の知名度向上に大いに貢献した……といえば聞こえはいいが、フジテレビとしても本社がそびえる埋立地がいつまでも不毛の地では困る、そうした事情もあったのだろうか。

初年度は約3500万人…観覧車は救世主だった

 ともあれ、フジテレビのおかげもあって首都高湾岸線の北側はなんとか目処がついた。いっぽうで、やっかいだったのは首都高の南側だ。だいたいお台場の埋立地は都市博の会場のために確保されていたものだから、なかなか利用方法が見つからない。それにお台場の開発そのものに暗雲が漂っていたのだから、企業の進出も及び腰。土地は東京都が保有していたが、売却しようにもどうにもならない。

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