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「さよなら! お台場の大観覧車」から2カ月…あの跡地は今、どうなった? 「金融ビジネス街&タワマン20棟以上」日本人が忘れた“お台場の夢”
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byJIJI PRESS/Masashi Soiri
posted2022/10/24 11:03
8月末に惜しまれつつ営業終了したお台場の大観覧車(左)。10月上旬に訪れたときにはここまで解体が進んでいた(右)
で、時代が下るとどんどんと東京湾は埋め立てが進められていき、完成した6つの御台場も2つを残し、埋め立てられたり、撤去されていく(第3台場と第6台場はいまも方形の姿をそのまま残し、レインボーブリッジの袂に仲良く並んで浮かんでいる)。
さて、そんな歴史遺産にルーツをもつお台場も、本格的に埋め立てがはじまったのは比較的最近になってからのことだ。工事がはじまったのは1961年。13号埋立地として造成がはじまり、1979年に完成した。
この埋め立てに前後して、1974年には船の科学館がオープン。いまもお台場に現存している施設としては“最古”ということになる。次いで完成前後の1978、1979年には宇宙科学博覧会が行われ、1000万人以上の来場者を集めている。
といっても、この時期のお台場はまだまだ埋め立てまもない空き地ばかりの不毛の地。もちろんいまのお台場の姿など誰の想像も及ばない土地だった。
「超高層ビルの金融ビジネス街」になるはずだった
だからといってせっかくの埋立地、放置しておく訳にもいかないし、何しろ鈴木俊一都知事のご時世、イケイケどんどんの開発が盛んに行われていた時代だ(ちなみに東京都庁舎の新宿移転も鈴木知事肝いりの事業だった)。
鈴木都知事の旗振りのもとで、臨海副都心構想が動き出す。その中で生まれたのが東京テレポート構想で、さらに1993年にはお台場で世界都市博覧会を開催することも決定する。それらに基づいてお台場の開発計画も具体化してゆく。超高層ビルが建ち並ぶ金融ビジネス街、さらに商業施設やオフィス兼住居もいくつもやってくる。そんな構想だったようだ。
東武鉄道は32階建てのホテルの建設を計画し、伊勢丹と住友商事グループが共同で大形商業施設を建てる予定もあった。1990年にはお台場への進出企業の公募が行われ、その倍率は最高で15倍にも及んだというから、たいそうな人気ぶりである。
“夢のお台場開発”、とどめを刺したのは…
こうした構想はバブル絶頂期、不動産価格がうなぎ登りの時代に形作られたものだ。つまり、いまでは考えられないほどに前のめりの開発計画といっていい。