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「日本で一番のスタジアムといえば?」新横浜駅と比べると…かなり地味な“ナゾの日産スタジアム駅”「JR小机駅」には何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byMasashi Soiri

posted2022/08/27 17:00

「日本で一番のスタジアムといえば?」新横浜駅と比べると…かなり地味な“ナゾの日産スタジアム駅”「JR小机駅」には何がある?<Number Web> photograph by Masashi Soiri

JR横浜線の“ナゾの日産スタジアム駅”小机駅には何がある? 平日昼間に訪れてみた

 スタジアム付近から第三京浜が通る方角を眺めると、第三京浜は途中で森の中に消えていくように見える。低地ばかりの一帯に、小さな小高い山があって、その中を第三京浜が突っ切っているのだ。小机駅の西側にあるこの山は、戦国時代まで小机城という城があった。長らく後北条氏の勢力下にあったが、後北条氏が滅ぼされて関東に家康が入ると廃城になり、それからは地元の人たちに“城山”と呼ばれて親しまれていたという。いまは小机城址市民の森という、史跡公園になっている。

 この小机城の跡を南北に横切っているのが第三京浜で、さらに東西にはJR横浜線も貫いている。線路の南側には金剛寺というお寺があって、小机駅の南口(つまりスタジアムの反対側)から第三京浜と交差するあたりにかけての横浜上麻生道路には昔ながらの商店街が続く。クルマ通りの多い道の両脇の歩道に商店が連なっている程度のものだが、これがつまり古くからの“小机”の中心地なのだ。

じつは100年以上前からあった小机駅

 すっかり“日産スタジアムの駅”になっている小机駅だが、1908年に現在のJR横浜線が開通した時点で開業している古い駅だ。そのときにはもちろん駅の周りに何があったわけでもなく、とりわけスタジアム側はときに水浸しになる田園地帯。むしろ、小机城(つまり駅の西側)をとり囲むように小さな集落があった。駅の設置は、『江戸名所図会』にもその名がある小机城とその周りの集落のためのものだったのだろう。

 それが100年の歳月を経て、田園地帯だった北側が遊水池とスタジアムの町になり、開業以来小さな郊外の駅だった小机駅は、いちやく日本一のスタジアムの最寄り駅になった。新横浜駅からも歩いて行けるとはいえ、7万人のスタジアムの最寄り駅という大役を、新たに背負うことになったのである。

 現在の橋上駅舎は1998年、つまりスタジアムと同じ年の生まれだ。横浜郊外の小さな駅も、ひょんなことから日本一のスタジアムの最寄り駅。スタジアムを訪れたなら、まっすぐ帰らず駅も遊水池もスタジアムも、すべて一望できる古き小机の城跡に、登ってみてはいかが。

(写真=鼠入昌史)

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