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「日本で一番のスタジアムといえば?」新横浜駅と比べると…かなり地味な“ナゾの日産スタジアム駅”「JR小机駅」には何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2022/08/27 17:00
JR横浜線の“ナゾの日産スタジアム駅”小机駅には何がある? 平日昼間に訪れてみた
小机駅からスタジアムまでの道中は住宅地の中を歩く……という印象を抱きがちだが、実のところ、住宅地になっているのは駅のすぐ近くのわずかなエリアだけで、他はほとんど農地だ。それは駅のホームからスタジアム方面(つまり北側)を眺めてもよくわかる。日産スタジアムとその最寄り駅の小机駅の間は、わずかな住宅地と広大な農地によって構成されているのである。
というのも、日産スタジアムやそれを取り囲む新横浜公園そのものがもともとは一面の田んぼ、田園地帯であった。蛇行して流れる鶴見川のほとりの氾濫原。小机駅を挟んで南側は丘陵地になっているから、古くから人が住んでいたのは丘陵地のほうだったのだろう。川が増水すればすぐに水浸しになる氾濫原は、裏を返せば水を得やすい環境にあって、つまり農地などに使われることが多かった。日産スタジアムは、そんな氾濫原の中に生まれたスタジアム、というわけだ。
洪水被害を防ぐ日産スタジアム(とその周辺)
鶴見川流域はこれまでたびたび洪水被害にさらされている。たとえば1938年6月には約1万1800戸が浸水。それをきっかけに鶴見川の河川改修がはじまった。1958年の狩野川台風では2万戸以上が浸水、さらに1966年6月の台風4号でも約1万8000戸が浸水被害を受けた。
そうした水害への抜本的な対策として、小机駅北側の氾濫原一帯の田園地帯を遊水池に整備することになった。遊水池とは、川が増水したときにわざと川から溢れさせて水をため、市街地などに影響が及ばないようにするためのものだ。
1984年からもともとそこにあった田んぼなどの用地買収がはじまり、1994年から本格的に工事がスタートしている。そしてその間の1990年に横浜市が遊水池の上に総合運動公園を作ることを決定する。これが、のちの日産スタジアムだ。