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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「やんちゃでした」“異色の経歴”日本代表・前田大然24歳、高校サッカー部から1年間除籍されていた「地元のパン屋でバイトして…」
posted2022/07/24 11:04
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
J.LEAGUE
「あの“1年”がなかったら、僕はいまこうしてサッカーをしていなかったと思います。だから、僕にとっては貴重な時間でした。もちろん辛かったですし、多くの人に支えてもらったことは忘れていません。ただ、もしあの時間がなかったらと思うと、自分でも少しゾッとします」
決して美化するような話ではないかもしれない。だが、振り返れば、その時間は前田大然(セルティック)にとって必要不可欠だったのだろう。
2016年に高卒でプロ入りし、21年には横浜F・マリノスで圧倒的なスピードを武器に、Jリーグ史上2番目の若さでJ1得点王に輝いた。ことし1月には2度目の海外移籍を実現。いまでは日本代表にも定着しつつあるが、じつは前田には高校時代に空白の1年があったのだ。
「除籍処分」サッカーをやめるか?転校するか?
大阪府出身の前田は高校時代を山梨県で過ごしている。小学6年の冬に見た全国高校選手権で初出場初優勝を飾った山梨学院高に憧れ、中学卒業と同時に親元を離れ同校へ進学した。
持ち前のスピードを生かし、1年時から主力に食い込んだ前田だったが、「問題」が起きたのは年が明けた頃だった。前田は部員仲間1人と、チームの規律を乱す行為をしたとしてサッカー部から除籍の処分を言い渡されてしまったのだ。
その時点で、前田には3つの選択肢があった。サッカーも学校もやめる。サッカーをやめて学校に残る。サッカーを続けるため、他校に転校する。当時の前田は学校に残ると即決した。
「そのときは(除籍の)期限もわからなかったので、学校に残ってもサッカー部に復帰できるかはわかりませんでした。ただ、とにかく残るって両親にはすぐに言っていましたね。何でなんやろ? サッカーは好きやったし、サッカーをやめようとは思わなかった。でも転校するなら、地元(大阪)に戻るみたいになっていて、それだとせっかく親元から離れたのに1年で帰るみたいになるのが嫌だったんですかね」
「学校近くの山を走っていた」
サッカー部の寮からも追い出され、その後は学校近くに小さなワンルームアパートを借りて、授業にはそれまで通りに出席した。独り暮らしは学校の規則で禁止されていたため、母親が定期的に訪ねてくることを条件に認めてもらった。
サッカー部を除籍され失意に沈んでいた前田だったが、じっとしていられずにその後も毎朝朝練が始まる時間には1人で走り込みを始め、他の生徒が登校する前には校内を掃除するなど、心を入れ替えて学校生活を送るようになった。