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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
近藤幸太郎「万年5位から抜け出したい」、飯田貴之「箱根では後悔したくない」…人気トレーナーが目撃した“青学大生の本気”
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTomosuke Imai
posted2022/04/01 11:01
今年の箱根駅伝で活躍した青学大の飯田貴之選手をはじめ、多くのランナーを指導する佐藤基之フィジカルトレーナー
「陸上選手は、脚の後ろ側とお尻ばかりを鍛えている人が多いですが、脚の前の筋肉、大腿四頭筋もバランスを考えて強化し、機能させないと厚底の反発力を上手に使えません。厚底を履いていると脚の疲労が軽減され後半まで余力が残り長距離は走れるメリットがありますが、下肢強化という観点からするとできないんです。そのため、股関節周りや仙腸関節周り、ふくらはぎ、太ももにまで怪我が見られるようになりました。飯田も同じところに何度も負荷がかかり、疲労骨折してしまったと考えられたんです」
飯田は当時、大腿四頭筋の筋バランスも悪く、筋出力も機能も不十分だった。そのためにトレーニングとして佐藤式スクワットなどをこなした。それも一般的な方法ではなく、大腿四頭筋の機能を再教育し走りの動作に近づけ、より効果的に鍛えるために、左右片脚ずつで、細かくやり方も変えたものだ。ただし、この地味なスクワットはあくまで厚底シューズを履くための準備に過ぎない。この地道な期間を耐えられない選手もいるという。
「飯田に厚底を履かせなかったのは、もう一つ理由があります。厚底を履いて練習をすれば強度の高いポイント練習を比較的ラクにこなせるんですが、薄底ですとかなりしんどいです。でも、ギリギリついていくことで人よりも高いトレーニング効果を得られるし、腱、靭帯、筋膜などの軟部組織も鍛えられる。『みんながラクに走っている中、キツイ中でもついていっているから誰よりもいい練習ができている。でも、疲労がたまるので体のケアをきちんとしないといけないよ』という話を飯田にしました」
大学4年出雲で区間7位……飯田に何があったのか?
4年生になっても佐藤は飯田を見続けてきたが、夏前ぐらいから約2カ月ほど姿を見せない時期があった。上半身の筋力をつけるべく他のジムにいっていたのだ。その間は佐藤の下でトレーニングは行えない。そして、その後の出雲駅伝で飯田は2区7位に沈む。
「出雲を走り終えた後に僕のところに来て『上半身のひねりがよくなり動くけど、脚が全然動かなく進まなかったです。やっぱりここでやらないといけない』と言ってきた。そうだよねと。選手自らが体感して気づくことは大事ですから。
離れていた2カ月はセルフでやっていたとは言え、ここでやっていた練習が強度100%だとすると、セルフは頑張っても50%程度もいかないでしょう。ここでやりながらセルフということならいいんですが、ここに来ないでセルフだけだと確実に負荷は落ちるので、それに比例して能力も落ちてしまうんです。それを維持するのが一番大変なんですが、飯田はかなり落ちてしまった。それが出雲で結果として現れた形でした。ここから彼も覚悟を決めて箱根に向けて再度追い込みをかけたんです」
出雲駅伝の後、1カ月弱で全日本大学駅伝が行なわれた。この大会は、青学大と駒澤大が後半で熾烈な争いを展開し、勝負はアンカー区間にまでもつれこんだ。そのアンカーが飯田だった。飯田は、近藤幸太郎(3年)から2位で襷を受け取ると、早々に駒澤大の花尾恭輔(2年)に追いつく。だが、花尾の後ろについて走るだけでなかなか仕掛けない。原監督から様子を見てからいけ、という指示が出ていたからだ。しかし花尾がラストで仕掛けると、そのまま先行され、飯田はついに花尾を捕らえることはできなかった。