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「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”
posted2021/12/02 17:04
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Hideki Sugiyama
20年ぶりの日本シリーズ優勝を果たしたヤクルトスワローズ。
勝因とは複合的なものだ。高津臣吾監督はいう。
「優勝できたってことは、どれかひとつが決定的な要因ということはあり得ない。最下位に終わった昨季から比べて、すべてのエリアでちょっとずつ積み上げがあったんです。先発ブルペン、ムーチョ(中村悠平)をはじめとしたバッテリーの強化。故障が少なくて、シーズンを通してレベルを上げられたのが大きかったかな。あと、目立たないけどディフェンス力も上がっています」
投手陣、守備の話が先に来るのは、いかにも投手出身の監督らしい。そして、打撃。
「高い身体能力を持っている塩見(泰隆)が、ようやく1番打者に固定できるようになったし、オスナ、サンタナのふたりが4月のいい時期に合流できて、相手に圧力をかけられるようになった。それに、4番のムネ(村上宗隆)がよくボールを見極められる。外国人ふたり、それに村上といった中心打者が我慢強ければ、それはチーム全体にいい意味で伝染していく。得点力が上がったのは、地味にそのあたりも大きいんじゃないかな」
たしかに、日本シリーズひとつとってみても、6試合を戦って、ヤクルトは21個の四球を選んだのに対し、オリックスは15個。投手の制球力に起因するところもあるが、ヤクルトの打者はシーズンを通して“patient”=打席で粘り強さを発揮したことは間違いない。
巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった
選手たちは、ある意味で「同期」していたように思う。
打線全体としてストライクとボールの見極めをしっかりと行い、ファウルで粘り、投手へ圧力をかける姿勢を共有していた。それは日本シリーズ第1戦で山本由伸に対し、6回で112球を投げさせ、降板を強いた試合に凝縮されていた。
ではなぜ、ヤクルトの打者たちは同期が出来たのか?