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「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/12/02 17:04
2014年からヤクルト一軍投手コーチ、17年に二軍監督。昨年から一軍監督を務め、日本シリーズ制覇に導いた高津監督
ヤクルトのダグアウトを見ていると、四球で出塁した選手に対しても、ダグアウトの選手たちが笑顔で拍手しているのを目にする。その祝い方は、ヒットで出塁した時となんら変わることがない。
この賑やかな雰囲気はレギュラーシーズン終盤から際立ち、沈んだ空気が漂っていた巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった。
ここに高津臣吾監督の、「雰囲気づくり」の巧みさが見て取れる。
高津監督の“原点”、ホワイトソックス
「高校野球のように、楽しそうにやってくれればいいと思っている」と監督は話すのだが、私はその原点をシカゴ・ホワイトソックスに見る。
シンカーを武器に、投手だった高津臣吾は2004年にヤクルトからホワイトソックスへと活躍の舞台を移した。
私もこのシーズンの前半、シカゴで登板を見た。100キロに満たないシンカーで、面白いように空振りを奪う。なんとも痛快だった。「毎日、つかれるよ」と言いながらも、高津投手はホワイトソックスのクラブハウスをなにより愛していた。
「スプリングトレーニングの最初の日がすごかったのよ。GM(ジェネラルマネージャー)のケニー(・ウィリアムズ)がロッカーで、大統領みたいな演説をして、こっちも気分が高揚した。最後には『なにかあったら、俺の携帯に電話して来てくれ!』って言うから、たまげた。アメリカってこんななんだって。ケニーのスピーチは忘れられない。言葉の大切さは身に染みて感じた」
高津監督が「絶対大丈夫」をはじめとし、選手に向けた言葉を大切にしているのは、この時の経験があるからではないか。
フリーウェイで「シンゴ! シンゴ!」
そして、監督のオジー・ギーエンの「全員で戦うスタイル」にも感銘を受けていた。
「プレーボール前の国歌斉唱があるよね。他のチームでは、ブルペンの投手だと、どこで聞いてもいいらしいんだけど、オジーは『国歌を聞く時だけは、必ずダグアウトの前かブルペンで聞いてくれ。なぜなら、全員で戦うという気持ちを共有する場なんだから』と言っていてね。みんなで戦うことを強調していた」
試合前に、選手全員がなんらかの瞬間を共有することをオジーから学んだのかもしれない。
それだけではない。当時の高津投手は「オジーは、オンとオフの切り替えがハッキリしている」といい、球場外でのリラックスした指揮官の表情を見るのが好きだったと話す。