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ドーピング検査時に見せた人間力、守り続けた“父との約束”…五輪2大会連続メダリスト・三宅宏実が愛されたワケ〈引退後は指導者の道へ〉
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byJIJI PRESS
posted2021/11/19 17:00
現役引退を発表した重量挙げ女子のメダリスト・三宅宏実。報道陣を自然と笑顔にさせるその人柄とは――
「重圧はその時、その時においては感じていたと思います。でもそれがあったからこそ、新鮮な気持ちで毎回チャレンジすることができました。父や伯父を早く超えたいというのがモチベーションのひとつであり、私もそういう選手になりたいと思っていたことが『東京から東京』へつなげることになりました。ここまで続けることができてよかったと思っています」
競技開始時に父から示された”2つの条件”
中学3年生だった00年9月、シドニー五輪から新種目として採用された女子の重量挙げをテレビで見て、競技を始めた。それまではテニス部に所属。ピアノも習っていた。
競技を始める時に父・義行さんに示された条件は2つ。一つは「五輪でメダルを取ること」、もう一つは「途中で諦めない、投げ出さないこと」だったという。
埼玉栄高校に入ってからは土日も返上して猛練習を繰り返した。メダリストの遺伝子があり、最高の指導があり、最高の環境があった。そして何より、意志の強さがあった。21年間の競技人生の前半は実力が右肩上がりに伸びた。
「選手としてのピークはロンドン(五輪)でしたが、その前年の11年に日本記録を更新した時がゾーンに入った瞬間でした」
元々はリオデジャネイロ五輪を区切りとするつもりだったが、13年に自国開催の東京五輪開催が決まったため、引退を先延ばしにした。しかし、そこからの5年間は苦しい毎日だった。とりわけつらかったのは昨秋に腰を疲労骨折した時だ。
「(年明けの)1、2月頃まで痛かったので不安な気持ちが大きかったです。その時期にも取材に来てくださった記者さんがいたので、(取材に)答えるのが精神的にも一番つらい時でした。でも、『最後まであきらめない。逃げ出さない』という条件で始めた競技人生なので、最後までとにかくやり切りたいという前向きな気持ちでいたと思います」