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小川航基24歳が語る、“東京五輪のエース候補”はなぜ落選したのか?「もう終わったことなのにすごく葛藤していました」
posted2021/10/29 11:00
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
AFLO
1年の延期の末に、開催された東京五輪。史上最強チームと言われた日本代表メンバーの中に、堂安律とともに世代別の主力として活躍してきたストライカーの名前はなかった。ジュビロ磐田の小川航基選手である。
カテゴリー別代表のエースだった男は、なぜ東京五輪の舞台に立てなかったのか――。東京五輪閉幕から2カ月、落選までの葛藤とそれからについて話を聞いた(全2回の1回目/#2に続く)。
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東京五輪に出場したU-24日本代表は、「史上最強」と言われたチームだった。
OA枠で吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航が加入、堂安律、久保建英ら日本代表の実力派が揃い、大会史上初の金メダルを目指した。だが、準決勝で強豪のスペインに惜敗し、ブロンズメダルマッチではメキシコに力負けし、メダル獲得とはならなかった。
小川航基は、金メダルへの道を断たれたスペイン戦を複雑な気持ちで見ていた。
思い描いていたものがすべて吹っ飛んだ
小川は、かつてU-19日本代表のエースストライカーだった。
2016年10月のAFC U-19選手権では3得点を挙げ、日本の初優勝に貢献し、翌年のU-20 W杯の出場権を獲得した。
小川は、この世界大会に懸けていた。
「U-20W杯は自分の人生を変える大会だと思って臨んだ大会でした。ここで活躍できれば、世界に自分をアピールできるし、海外への道が開けるかもしれない。実際、律(堂安)はこの大会で活躍してオランダに移籍した。やってやろうという気持ちしかなかったです」
初戦の南アフリカ戦では貴重な同点ゴールを挙げ、波に乗った。つづくウルグアイ戦でも「結果を出して」と思ったが、試合中に負傷。左膝前十字靭帯損傷、外側半月板損傷で全治6カ月の重傷を負い、大会の途中離脱を余儀なくされた。
「思い描いていたものがすべて吹っ飛び、残念というか……。本当に悔しかったですね」
コパアメリカのメンバーから落選「ほんと悔しかった」
それから2年後、小川はトゥーロン国際大会を戦うU-22日本代表に選出された。
だが、素直には喜べなかった。同時期、森保一監督に率いられたU-22日本代表の主力は、コパアメリカを戦うためにブラジルに遠征していたのだ。
「これは、ほんと悔しかったですね。代表の中で序列が上の選手はコパに行き、そうではない選手はトゥーロンで、誰にでもわかるようにA組、B組に分けられたじゃないですか。トゥーロン組の選手は自分も含めて、絶対に結果を出してやるという熱い気持があったし、それがチームの内でヒシヒシと感じられた。その時、一緒にいた碧(田中)もそうですが、そこから這い上がって東京まで行ったのは、あの悔しさを抱えて、結果を出していったからだと思います」