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小川航基24歳が語る、“東京五輪のエース候補”はなぜ落選したのか?「もう終わったことなのにすごく葛藤していました」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2021/10/29 11:00
東京五輪、史上最強チームと言われた日本代表メンバーの中に、世代別の主力として活躍してきたストライカー・小川航基の名前はなかった
「すごくいい守備をしていたんですけどね。ちょっとした隙に一発で決められて……。『なんだよ』という残念な気持ちと、『これが世界か』と世界のレベルに衝撃を受けました。
ただ、テレビを見ていて、熱い気持ちで応援している人たち、例えばジュビロのサポーターでもそうですけど、その人たちの気持ちがちょっとわかった気がします。めちゃくちゃ応援して、頑張ってほしいのに上手くいかなくて、点決められて『おい!』って言っちゃうような……。でも、僕は選手なのでみんなの気持ちもわかる。試合後の選手の表情を見ているといろいろ伝わってきて、自分もすごく悔しかったですね」
メンバー発表の時も、大会後も、連絡はしなかった
長く世代別で共に戦ってきたメンバーだが、メンバー発表の時は「連絡をしなかった」という。スペイン戦後には「連絡しようかな」と少し考えた。それでも結局、誰とも連絡を取らなかった。
「しなかったですね。なんかしなかったです。なんでなのかって、言われたらわからないけど……」
小川は、落選した自分が試合について、あれこれ言うのは違うなと思ったのだろう。また、一緒に戦ってきた仲間だが、ライバルでもある。自分が出場を切望していた五輪に同期が出て、活躍する姿を見るのは選手として、悔しい思いもあったに違いない。
結果的に日本は、ブロンズメダルマッチでメキシコにも敗れて、メキシコ五輪以来のメダルを獲得できなかった。だが、五輪という舞台で、メダルを懸けて戦った経験は、個々の選手に何かしらの影響を与え、糧となって今後のプレーに反映されていくだろう。
「東京五輪のメンバーに追いつける自信はあります」
小川は、以前、磐田を指揮していた名波浩監督に、「国際大会」の重要性について話を聞いていた。
「名波さんがよく言っていたのは、『国際大会は選手を短期間で成長させてくれる場所。だから、お前が国際大会に呼ばれたら絶対に行かせるから』ということでした。東京五輪では、その期待には応えられなかったですが、これからまだチャンスはあると思っています」
カテゴリー別代表の活動が終わると、次は日本代表しかない。その代表は、来年のカタールW杯に向けて9月から最終予選の戦いをスタートさせている。東京五輪で戦った堂安や久保らがA代表に招集され、戦っている。
「そこは僕の頑張り次第だと思うんです。代表はチームが完成しているわけでも、選考が終わったわけでもない。東京五輪のメンバーに追いつける自信はあります。自分のスキルを上げて、運も味方につけて、自分も代表で戦いたいですね」
日本代表も東京五輪の時と同じように生き残りを懸けて戦っていかなくてはならない。まずはチームで点を取り、出場時間を増やし、スタメンを奪い、エースに定着する。そうして、「ここが勝負」という時に、結果を出せば、いくらでも未来は変えられる。日本代表への扉を押し開くことはもちろん、憧れだった世界への挑戦だって十分に可能なのだ。
(後編へ続く)