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《ドーハの悲劇から28年》背番号10・ラモス瑠偉が告白した歴史的ドロー“衝撃の真相”「野良犬みたいな俺をオフトは見捨てなかった」
posted2021/10/28 06:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
JIJI PRESS
都内の一角に、洒落たブラジル料理のレストランがある。入口のドアを開けると、額縁に入った日本代表のユニホームが目に飛び込んでくる。「10」の上をなぞる「RAMOS」の文字。あの日、ドーハで力なく座り込んだ傷だらけの司令塔を写した写真の光景が、思わず甦ってくる。
昼下がりのまばゆい光が差し込む店内に、56歳のラモス瑠偉が待っていた。トレードマークの長髪、細身のシルエット……その姿は20年前とちっとも変わらない。隣には、灼熱のピッチを鬼の形相で駆けるラモスの写真が飾ってあった。それと比べて違うのは、随分と柔らかくなった表情だろうか。
インタビューの趣旨を説明すると、彼はフッと笑った。
「もう20年か……そりゃ年も取るよ。でもあっという間。先月のことのように覚えてる」
ドーハの思い出の詰まった店内で、ラモスはいつまでも新鮮さを失わないあのときのことを、ゆっくりと語り始めていく――。
悪質なファウルを受けて敗戦した屈辱のイラン戦
灼熱のドーハ。
この年に開幕したJリーグは水曜と土曜の週2開催、そのうえ代表の強化合宿までパンパンにつまった超過密スケジュールをこなし、36歳のラモスはドーハまで辿り着いた。動きやすい体にするため、敢えて食事の量を増やさないようにするなど、コンディションには細心の注意を払っていた。
初戦のサウジアラビア戦に引き分けて臨んだイラン戦。前半15分、徹底的にマークされたラモスは背後から容赦ないタックルを食らい、ピッチに倒れ込む。大ケガになってもおかしくないほどの悪質なファウル。それでも彼は簡単な処置を終えてピッチに戻っていく。最終予選に懸ける彼の思いが、痛みを封じ込めるように。しかしラモスの奮闘むなしく、勝たなければならない試合を落としてしまう。
「本当だったら、あんなの退場ですよ。俺とカズをつぶしにきてね。サウジとは嫌な引き分けだったし、イランには勝っておきたかった。でもゴンが終了間際に奪った1点が、次につながるんじゃないかと思った」
腰に激痛、ロボットみたいな歩き方に
2戦1分け1敗。いきなり後がなくなった。悲観的なムードがチームにも流れ始めていた。しかしラモスは違った。やるべきことは明白だったからだ。あと3つ、勝てばいいだけのこと。下を向く全員の前で、口角泡を飛ばした。「全部勝とうぜ、やろうぜ」と。
自分が怯むと士気にかかわる。チームメイトにはハッパをかけながら、陰ではタックルを受けた肉体を回復させなければならなかった。動けば腰に激痛が走り、ロボットみたいなぎこちない歩き方になってしまう。次の北朝鮮戦はもう翌日に迫っていた。