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小川航基24歳が語る、“東京五輪のエース候補”はなぜ落選したのか?「もう終わったことなのにすごく葛藤していました」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2021/10/29 11:00
東京五輪、史上最強チームと言われた日本代表メンバーの中に、世代別の主力として活躍してきたストライカー・小川航基の名前はなかった
3月末には、U-24日本代表の親善試合が組まれていた。その予定を知っていたからこそ、リーグ戦で結果をという思いが強かったが、最初のスタートで躓いた。その後は点を取るどころか、試合にもなかなか出場することができなかった。
「3月の親善試合がダメだったので、点を取ってラストの選考試合でなんとかという思いがありました。でも、点を取る以前に試合に絡めていなかったので話にならない。最後の本当の勝負どころでメンバーに食い込んでいけませんでした」
6月。東京五輪代表の最終選考となる2試合のメンバーに、小川は招集されなかった。これで東京五輪出場の夢は完全に潰えた。
発表された瞬間「なんでそこに自分がいないんだ」
東京五輪の最終メンバーが発表された瞬間、小川は何を思ったのだろう。
「結果を残すことができなかったのでしょうがないと思ったんですが、その一方で『なんでそこに自分がいないんだ』っていう思いもありました。現実を受け入れたくない自分と受け入れないといけないと思う自分がいて、もう終わったことなのにすごく葛藤していました。
もうこのチームで活躍していたころの過去の自分に浸っていたらいけない。それじゃ前に進めないと思って、なんとか気持ちを切り替えました」
東京五輪の最終メンバーが発表された週末の長崎戦、小川は今季初ゴールを決めてチームの勝利に貢献する。落選の鬱憤を晴らすかのような素晴らしい一撃だった。
「代表から落ちて、チームでも試合に出られていなかったので『コノヤロー!』っていう気持ちでした。しかも、V・ファーレン長崎との上位対決だったので絶対にゴールを決めてやろうと。そこで初ゴールを決めることができたのは良かったですけど『もっと早く決められていたら……』という思いもありましたね」
東京五輪を観戦して「いろんな感情がわいてきました」
7月22日、開会式に先駆けて、男子サッカー日本代表の東京五輪が始まった。小川は、すべての試合を見ていたという。
「試合を見ていたら、いろんな感情がわいてきました。自分も一時期、ピッチに一緒にいたので『今、こんな気持ちでプレーしているのかな』とか、途中で入っていく選手を見て、『ここから入っていくのは難しいな』とか。
もちろん、同じポジションの選手もよく見ていました。林(大地)くんは一緒にプレーしたことがなかったんですが、綺世(上田)と大然(前田)は、『こういう時、どうするのかな』とか、応援しつつも選手としての目線でプレーを見ていました」
U-24日本代表はグループリーグを無傷で勝ち上がり、準決勝でスペインに臨む。難敵と言われた相手に日本は堅守で対抗し、延長戦までもつれこんだ。だが、延長後半10分、ついにその堅守を破られて失点し、1-0で敗れた。