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吉田麻也の猛抗議、遠藤航「浅野にぶち抜かれんなよ」… OA枠が“頼もしすぎる”からこそ、U-24世代に見たいもの
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKoji Watanabe/Getty Images
posted2021/06/06 17:01
田中碧へのファウルに対する猛抗議など、キャプテンシーを見せた吉田麻也。遠藤航、酒井宏樹を含めたオーバーエイジはU-24日本代表をどう成長させるか
「安定感があって、奪ってほしいところで奪ってくれる。オーバーエイジだからというより、あの3人はちょっと抜けている。僕の一番近くには酒井選手がいましたけど、体の使い方やもともと持っているものが凄いと思いました」
過去4回のオーバーエイジ融合を振り返ると
東京オリンピックを1カ月半後に控え、2017年12月から始まったチーム作りもいよいよ最終コーナーを曲がった。
大きな焦点は、3つ。最終メンバーの選考と、チーム作りの総仕上げ、そして、オーバーエイジとの融合である。
3人のオーバーエイジの参加が認められた1996年のアトランタ五輪以降、日本は東京五輪を含め、7大会連続して本大会出場を果たしている。
そのうち、日本がオーバーエイジを起用したのは00年のシドニー大会、04年のアテネ大会、12年のロンドン大会、16年のリオ大会、そして今回の5回。
すべてがうまくいったわけではなく、むしろ、直前になって初めて合流する年長者たちを戦力として上積みできないことも少なくなかった。
過去、オーバーエイジとの融合が最もスムーズだったのが、00年のシドニー大会のチームである。
この時、五輪代表の指揮を執っていたのはA代表の監督も兼任していたフィリップ・トルシエ。五輪代表のメンバーには中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、高原直泰、柳沢敦、松田直樹……と、すでにA代表の主力だった選手が多く、オーバーエイジの楢﨑正剛、森岡隆三、三浦淳宏を組み込むことに苦労はなかった。
森保一監督がA代表と五輪代表を兼任している状況は、当時と同じ。「オーバーエイジをどう組み込むかは、スタッフ間でかなり話し合ってきた」と横内昭展コーチ(今シリーズでは五輪代表監督)が語ったように、19年6月のコパ・アメリカに五輪代表と5人のオーバーエイジで臨んだり、20年10月、11月のA代表の欧州遠征に五輪代表世代を多く呼ぶなどして、少しずつ融合を図ってきた。
そして、本番まで1カ月半となった今シリーズで、オーバーエイジの本格合流に踏み出したのだ。
オーバーエイジ参戦による大きな効果は、堂安、久保が言うようなプレー面にとどまらない。