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「しょうがないね」では終わらせない!
明徳・馬淵監督が選手に語りかけた願い。

posted2020/05/25 20:00

 
「しょうがないね」では終わらせない!明徳・馬淵監督が選手に語りかけた願い。<Number Web> photograph by Kyodo News

5月20日、部員の前で甲子園中止を伝える馬淵史郎監督。

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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Kyodo News

 明徳義塾の馬淵史郎監督は、ベンチ前に体育座りするおよそ100人の部員に声を張った。

 願いを、グラウンドに響かせる。

「試合に勝った、負けた。レギュラーになった、控えに終わっただけが高校野球じゃないないよ。将来、困難に直面したときに、耐えていけるだけの精神力を養うのが高校野球の大きな目的のひとつ。この経験を10年後、20年後に役立ててほしい」

 5月20日。新型コロナウイルスの影響によって、全国高校野球選手権大会の中止が決定した。選手には毅然とした態度を貫いた馬淵だったが、心では失意と戦っていた。

 電話取材に応じてくれた22日、馬淵の第一声には、高校野球ファンが親しむ快活さや舌鋒の鋭さはなかった。

「高校野球の指導者になって、30年以上の習慣が染みついていますでしょ。去年までのこの時期っていうのは、夏の大会に向かってチームを仕上げてきた。それがね、今年はないわけですから。なかなか言葉では表現できませんよ。簡単に言えば、気が抜けたというかね……そういう感じです」

誰もが「夏は必ずできる」と信じていた。

 コーチ時代を含めれば、明徳義塾で指導をして34年目。歴代4位タイの甲子園通算51勝を誇る名将であっても――いや、それだけのキャリアと実績があるからこそ、失われたものの大きさを痛感するのだ。

 3月の時点では、誰もが「夏は必ずできる」と信じて疑わなかった。

 代表校として頂点を目指していたセンバツ高校野球の中止が3月11日に決まり、当初こそ悲嘆に暮れたが、すぐに気持ちを切り替えることができた。まだ、「夏」という希望が残されていたからである。

「春の悔しさを、夏にぶつけるぞ!」

 この合言葉を旗印に、5月には九州遠征を組むなど準備を進めていた。

 だから、自粛生活にも耐えられた。

 明徳義塾は約1000人の全校生徒のうち8割が寮生活を送り、野球部は全員がそれに該当する。3月から休校となったが、外出しない寮生は1日2時間程度のクラブ活動を許可されていた。とはいえ、毎日の検温で一度でも37.5度以上の発熱があれば、専用の個室での静養を義務付けられていたため、過度な運動を控えていたという。午前中は自習、午後からは軽めの練習。

 これが野球部のルーティンとなっていた。

【次ページ】 インターハイの中止はショックだった。

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