サムライブルーの原材料BACK NUMBER
玉田圭司と中村憲剛、日本代表での
共通点。黄金世代の陰で達成した事。
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2020/04/23 11:50

2010年W杯南ア大会、決勝T1回戦パラグアイ戦でPK戦にもつれ込み、中村憲剛と玉田圭司は隣同士で肩を組み仲間を見守った。
「自分が一番下のレベルだと思った」
「1回呼ばれるっていうのはあると思うんです。シンガポール戦にちょっと出て、ヨーロッパへの遠征にも呼ばれた。
でもここでダメだったら、切られちゃうかもなとは思いましたよ。だから自分のプレーを一生懸命、やろうと。
僕にはアンダーの代表も、オリンピック代表の経験もない。初めてA代表に呼ばれたときは自分が一番下のレベルだと思ったし、凄いところに来てしまったな、という感じでした。
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練習のレベルが高くて、毎日気が抜けない。あの試合も気持ち的にフワッと入らずに、最初から集中できていたなっていう記憶がありますね」
日本と欧州のピッチの違いなど適応までに時間が掛かったのは事実だ。
それでも「最初は少し動きが硬かったかもしれないけど、集中が切れることはなかった」という。
即座に詰めて左足で押し込んだ。
0-2で迎えた後半30分だった。
右サイドの突破からチャンスをつくる日本。
中央を経由して出てきたパスを、ゴール前で待ち受けていた玉田は左足でトラップした。その前に相手ディフェンダーの足に当たったことでトラップが大きくなってしまったが、即座に詰めて左足で押し込んだ。
反撃の一発が2分後、2トップの相棒・久保竜彦のゴールを呼び込む。結果的には敗れてしまったが、手応えを掴んだ一戦となった。以降、ジーコジャパンの常連メンバーとなっていく。
「このゴールで一気に自信になりました。継続して呼んでもらえるようになって、ほかのメンバーの動きを見て学ぶことができた。本当にみんなうまかったので(笑)。
代表で成長できたのも、あのハンガリー戦でチャンスをもらって、ゴールという結果を得られたことが大きかったと思います」