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玉田圭司と中村憲剛、日本代表での
共通点。黄金世代の陰で達成した事。
posted2020/04/23 11:50
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
AFLO
2020年で40歳。
彼らは1980年4月に創刊した「Number」誌と同い年になる。創刊40周年記念特集号「日本サッカー 希望の1ゴール」の企画において、1980年生まれのフットボーラーを何人か取り上げた。
そのタイトルは「40歳、人生を変えた一撃」。筆者がインタビューした2人に、ある共通項があった。
玉田圭司と中村憲剛。
ともにJリーグでのゴールを真っ先に挙げてくれたため、記事はその話を中心に構成させてもらった。
実は、スペースの関係上書けなかった話がある。彼らには「もう一つ」心に残るターニングポイントの一撃があった。
それは日本代表での初ゴール。
いずれもアウェー、いずれもA代表デビュー2戦目、いずれも初先発――。
これだけでも十分なのに、共通項はまだあった。
1つ年上は、小野伸二、稲本潤一らの黄金世代。その陰に隠れる形となった1980年度生まれの選手たちではあるが、玉田、中村はアンダー世代での代表歴がない。
Jリーグで活躍して代表の座をつかんできた叩き上げは、「それまで海外で試合をやる経験なんてなかった」と口をそろえる。
だからこそ日の丸を背負い、海外で奪った初ゴールが強く印象に残っているのかもしれない。
代表の決定力不足が指摘されるなか、初先発。
2004年4月25日、ハンガリーのザラエゲルセグ。
首都ブダペストで調整してきたジーコジャパンは、東欧遠征初戦となるハンガリー戦を国内組で臨んだ。
2月から始まったドイツワールドカップアジア1次予選は2試合を終え、ホームのオマーン戦、アウェーのシンガポール戦といずれも終盤に何とか決勝点を奪って勝ち点6を積み上げていた。
決定力不足が指摘されるなか、シンガポール戦の後半途中から出場してA代表デビューを飾った玉田に初先発のチャンスが与えられた。
柏レイソル入団5年目となる2003年シーズンに2ケタゴールを挙げ、ジーコ監督の目に留まった。本人からすれば代表を意識する前に、招集が掛かったという受け止め方だった。