サムライブルーの原材料BACK NUMBER
玉田圭司と中村憲剛、日本代表での
共通点。黄金世代の陰で達成した事。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2020/04/23 11:50
2010年W杯南ア大会、決勝T1回戦パラグアイ戦でPK戦にもつれ込み、中村憲剛と玉田圭司は隣同士で肩を組み仲間を見守った。
初の海外での試合で予期せぬことばかりが。
玉田が23歳で初招集されたのに対し、中村は25歳のときだった。
2006年のドイツワールドカップでは1勝もできずにグループリーグ敗退に終わり、イビチャ・オシム監督が就任。
この年、入団4年目にしてJリーグのベストイレブンに選出されることになる彼は、10月4日の親善試合ガーナ戦に途中出場して代表デビューを果たす。そのままインドに渡り、アジアカップ予選に臨んだ。
10月11日、国内組で挑んだバンガロールでのインドとの一戦。
登録の関係で「53」の背番号をつけた中村は「55」番の鈴木啓太とボランチを組み、ゲームを組み立てる役割を担う。
初めての海外でのゲームで待っていたのは予期せぬことばかり。
前半39分にメインスタンドの照明の一部が停電となって、4分間中断された。ピッチはデコボコで、電光掲示板はあっても試合時間が表示されない。
ゴールまで30m、中央左の位置からからズドン。
それでも中村にとっては「凄く新鮮だった」という。
「海外で試合をやること自体、僕は初めて。空港が混雑しているとか、食事に出てきたカレーが緑色だとか、シャワーの水を口にしないようにとか、遠征自体、確かにストレスもいろいろとありましたけど、アウェーってこうなんだって味わえましたから。
オシムさんの練習はやっていて楽しかったし、こんなトレーニングもやるのかってそれも新鮮でした」
初めての海外の試合が、かなり厳しい環境下。
不慣れな環境と初先発のプレッシャーを、彼はストレスにしなかった。
2-0で迎えた後半36分だった。
ゴールまで30mはあっただろうか。中央左の位置からからズドン。右足から振り抜かれたボールは、音速のスピードでゴール左上に突き刺さった。
萎縮せず、伸び伸びと。
緊張感と集中を切らさず、終盤に入っても躍動できていた。