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吉田麻也、昌子源だけじゃない。
植田直通に芽生えたリーダーの自覚。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byKiichi Matsumoto

posted2019/09/07 11:30

吉田麻也、昌子源だけじゃない。植田直通に芽生えたリーダーの自覚。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

パラグアイ戦の後半に出場した植田直通。吉田麻也とのコンビに手応えを感じていた。

横にはいつもリーダーがいた。

 植田の口から出てきた「束ねる」という言葉。これまでの植田はどちらかというと、「束ねられる」CBであった。

 DFにコンバートされたのは大津高に入ってから。しかも、中学時代までテコンドーの世界大会に出場するなど、サッカーとの二足のわらじを履いていた。

 U-16日本代表に大抜擢された時も、U-17W杯に出場した時も、CBコンビを組む岩波拓也(浦和レッズ)がDFリーダーだった。抜群の対人能力と空中戦の強さ、キック力を誇る植田を岩波がコントロールする関係性だ。

 大津高では1年のときから先輩の車屋紳太郎(川崎フロンターレ)とCBコンビを組み、巧みなラインコントロールや指示を受けてプレーした。高3時こそキャプテンとしてDFリーダーを務めたが、鹿島に入団してからは昌子源が最終ラインを統率。もちろん、日本代表では吉田麻也、昌子がいる。

 当時、昌子は植田について「ナオはまだ試合中に静かなところがある。自分の判断を周りに伝えずに動いてしまうときがあるので、そこは僕が本当に『これでもか』というくらい声をかけています。正直、僕も自分が寄せている時は周りの状況が分からないこともあるし、その時はナオにも声を出して欲しいと思っているので、それも伝えています」と語っていた。

 彼は自分がやるべきことをやる職人気質というべきか、黙々と己の任務を遂行するタイプであった。

「僕が引っ張らないといけない」

 ところがベルギーへ渡ると状況は一変した。多くが自分より年下の選手で、さらに成り上がりを望む我の強い選手も多い。

「今までは周りがちゃんとやってくれるので、僕は普通に自分の長所を出せばいいなと思っていましたが、ここでもっと自分が引っ張らないといけないという気持ちが芽生えました。今のチームだと僕は年上の方だし、やっぱり経験がない選手が多くて、失点をする度にどんどん落ちて行ったり、気持ちで左右される選手が多い。

 そういうのを見ていると、僕が引っ張らないといけないし、そうしないと評価されないと思うようになった。ただ、やっていることはそこまで変わっていない気はするんですよね。気持ちの問題かなと僕は思っています」

 束ねられる側から束ねる側へ。チームにおける立場が変わったことで、彼の中に大きな変化が生まれたのだった。

【次ページ】 改めて自覚した「声」の重要性。

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