ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
WWE殿堂入りの新間寿とは何者か。
新日本プロレスの「過激な仕掛け人」。
posted2019/06/28 08:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
昭和の新日本プロレスで営業本部長を務め、アントニオ猪木の右腕として活躍。数々のビッグマッチや企画を実現させて、“過激な仕掛け人”と呼ばれた新間寿氏が、今春、世界最大のプロレス団体WWEで殿堂入り(レガシー部門)。
6月28日、29日の両日、東京・両国国技館で開催されるWWE日本公演の初日に、WWE名誉殿堂入り記念セレモニーが行われることとなった。
これまで2010年にアントニオ猪木、2015年に藤波辰爾がWWE殿堂入り。故人や過去に功績のあった関係者が対象となるレガシー部門で、新間氏は2017年の力道山、2018年のヒロ・マツダに次ぐ受賞。日本人通算5人目のWWE殿堂入りとなる。
新日の繁栄と、WWEとの提携。
比較的新しいファンには意外かもしれないが、新日本プロレスとWWE(当時のWWWF、WWF)は1974年から'85年まで提携関係にあった。
その中で新間氏は、現在のWWE会長ビンス・マクマホンの父である、先代のビンス・マクマホン・シニア代表と蜜月関係を築いた。選手交流を活発化させることで両団体の発展に寄与し、一時は名誉職ながらWWE会長の役職にも就いている。今回の殿堂入りは、そういった功績が認められたものだろう。
また、新日本プロレスの歴史を語る上でも、WWEとの提携は欠かすことができない。WWEとの提携なくして、その後の新日本の繁栄はなかったとも言えるのだ。
1970年代前半、旗揚げ当初の新日本はテレビのレギュラー放送もなく、資金も乏しく、いつ潰れてもおかしくない状態が続いていた。
当時の日本プロレス界は、いかにして大物外国人レスラーを招聘するかが、興行の成否を左右していたが、外国人招聘ルートはすでに日本プロレス・国際プロレスのブッカー(外国人招聘係)だったグレート東郷と全日本プロレスのジャイアント馬場に握られており、新日本はロクな外国人レスラーを呼べないという状況でもあった。