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横浜F・マリノスでの3年間を告白。
モンバエルツ前監督は何を目指した?

posted2018/01/30 11:30

 
横浜F・マリノスでの3年間を告白。モンバエルツ前監督は何を目指した?<Number Web> photograph by Yohei Osada/AFLO SPORT

PSGをはじめとするリーグアンのいくつかのクラブやU-21仏代表監督などを務めてきたモンバエルツ。フランス最高の指導者の1人と目されている。

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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Yohei Osada/AFLO SPORT

 エリク・モンバエルツが、横浜F・マリノスでの3年間の任期を終えてフランスに帰国した。集大成の年となるはずだった昨季はJリーグ5位、天皇杯準優勝と、あと一歩のところで目標(Jリーグトップ3とACL出場権獲得)を達成できなかった。

 紆余曲折もあった3年間を、モンバエルツはどう振り返るのか――。

 帰国前の慌ただしい時間の合間に話を聞いた。

「スポーツの面ではひとつのプロジェクトを実現できた」

――日本での3年間をどう総括しますか?

「まず私を日本に呼んでくれた横浜F・マリノスとシティ・フットボール・グループに感謝している。日本行きのオファーは驚きだったが、彼らが支えてくれたおかげで充実した時間を過ごすことができた。

 スポーツの面ではひとつのプロジェクトを実現できた。クラブは転換期を迎えていたが、転換はある意味で成功した。もちろんこれからも継続していかねばならないし、われわれが実践したプレーはまだまだ完成からは遠いが、ベースは確立できた」

――あなたの第一の任務は世代交代だったのですか?

「マリノスは経験豊富な選手たちのチームだった。考え方としては、少しずつ変えていく。簡単ではないし、時間がかかるのもわかっていた」

――中村俊輔や中澤佑二のようなビッグネームが何人もいました。

「彼らにとっても大変だったと思う。長年やり続けてきたプレースタイルを変えねばならなかったのだから。求められるものが異なる。葛藤があったのは間違いない」

――とくに俊輔には難しかった。あなたは彼をボランチでも起用し、あなたのプレースタイルに合わせることを求めたわけですから。

「俊輔はファンタスティックな選手だった。だが齢を重ねて、前でプレーするのは次第に難しくなっていた。だから彼に相応しいポジションを考えた。彼自身も下がってプレーする傾向があって、他の選手のために効果的なパスを供給していた。これは攻撃的な選手の誰もが直面する問題だ。前でプレーすることが徐々に難しくなったときにどうするかは、俊輔だけに限った問題ではない」

【次ページ】 「“ボンバー”は、この3年間で一番良かったと思う」

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