Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「リハビリ中、たくさん泣いたんだ」
内田篤人が明かす苦闘の1年9カ月。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byItaru Chiba
posted2017/02/10 08:00
12月8日、ELザルツブルク戦の後半から途中出場。639日ぶりにピッチを駆け回った。リハビリが続く右脚は黒い特殊なタイツで覆われている。
精神的に一番苦しい頃、古巣の同僚が手を差し伸べた。
この時、シャルケと内田の判断は前年に腱を負傷した際とは逆のものだった。シャルケは保存療法を勧め、内田は手術を強く望んだ。何より長引く右膝の痛みを消す必要が内田にはあり、6月に日本で手術に踏み切った。手術は右膝関節にできた骨棘(こつきょく)と呼ばれる変形した骨を取り除くもの。この骨棘が膝蓋腱を傷つけ、炎症と痛みを引き起こし、ひどい場合には腱を断裂させる可能性まであったのだ。
手術後、'15年中はシャルケでリハビリを続けていたが、復帰のめどが立たず、'16年2月から日本でのリハビリに切り替えた。だが、思うように回復せず、「精神的には一番苦しかった」という5月頃、鹿島時代のチームメイト、遠藤康から誘いを受けた。
「鹿島に良いトレーナーがいるから、1回来てみれば?」
信頼できる旧友からの、古巣への誘いに素直に乗った。だが、遠藤は久々に再会した内田の様子に驚いたという。
「もう、脚も細いし、とにかく肌が真っ白で。『まずは外に出るところからなんじゃない?』って言いました」
「鹿島に行って、急激にリハビリが進んだんだ」
内田にとっては、このとき遠藤に紹介された鹿島の理学療法士、塙敬裕氏との出会いが大きな転機となった。塙氏とは「一つずつ実験だね」と言いながら、リハビリを開始した。内田の右脚はそもそも膝に負担がかかりやすい骨のつき方をしているという。その骨格そのものが、膝蓋腱炎を引き起こす原因にもなり、'15年夏の手術につながる右膝の激痛のもとになっていたのだ。
それまでは手術後も痛みを伴う角度のまま動かし、リハビリを続けてきたが、塙氏のアプローチは最初に痛みのない負荷のかけ方を見つけることだった。痛みがあるまま負荷をかけても必要な筋肉はつかないという。一見すると普通のリハビリやトレーニングと変わらない。だが、ちょっとした角度や向きに気を配りながら、オーダーメイド的に丁寧に負荷をかけるリハビリを続ける中で、内田は初めて手応えを感じた。
「鹿島に行って、急激にリハビリが進んだんだ。まず、痛みを無くそうっていう方針が良かった」