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「リハビリ中、たくさん泣いたんだ」
内田篤人が明かす苦闘の1年9カ月。 

text by

了戒美子

了戒美子Yoshiko Ryokai

PROFILE

photograph byItaru Chiba

posted2017/02/10 08:00

「リハビリ中、たくさん泣いたんだ」内田篤人が明かす苦闘の1年9カ月。<Number Web> photograph by Itaru Chiba

12月8日、ELザルツブルク戦の後半から途中出場。639日ぶりにピッチを駆け回った。リハビリが続く右脚は黒い特殊なタイツで覆われている。

「ねえ、試合でいつ泣いたらカッコイイ?」

 約1年9カ月にも及んだリハビリ期間中、いかに追い詰められた精神状態であったかが窺える。シリアスな思い出話が続くかと思ったら、急に話題を変えた。

「ねえ、試合でいつ泣いたらカッコイイ? 監督に呼ばれた時? それとも試合終了のホイッスルが鳴った時?」

 内田には鹿島時代から、筋肉系の怪我は時折見られた。だが「痛みに強い」と自認するほどで、多少の怪我であれば涼しい顔でピッチに立ってきた。シャルケでは監督が交代する際に、内田のそういった性格も一つの情報として引き継がれているようで、「お前は『痛い』って言わないらしいな、と新監督に言われたよ」などと明かしてくれたこともある。

「右膝が爆発したかと思った」大腿二頭筋腱の断裂。

 そんな内田が痛みに耐え切れず、ピッチ上を転がったのが、'14年2月9日のハノーファー戦である。いつにもまして調子が良かったという試合の終了間際、自陣右サイドから勢いよくドリブルで進むと、センターサークルを越えたあたりで接触もないのにバランスを崩して倒れこんだ。右膝を押さえながら、交代を要請。その時の衝撃を「右膝が爆発したかと思った」と表現しているが、大腿二頭筋腱が断裂していた。チームメイトと「あれ、お前ここの腱がないぞ」と膝の裏を触り、確認しあったという。

 4カ月後にはブラジルW杯が控えていた。手術を勧めるチームドクターに反して、内田は保存療法を選択。結果的にW杯には間に合い、全3試合フル出場を果たした。

 そして8月後半、ブンデスリーガの'14-'15シーズンが開幕。初戦から4試合は出番がなかったが、その後は主力としてリーグ戦で17戦連続フル出場した。だが、腱の負傷そのものは完治したものの、そのひずみは右膝に確実に来ており、常に痛みと戦う日々が続いた。シャルケでは'15年3月10日、チャンピオンズリーグのレアル・マドリー戦、日本代表としては同3月31日のウズベキスタン戦を最後に試合から離れた。

【次ページ】 精神的に一番苦しい頃、古巣の同僚が手を差し伸べた。

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