オフサイド・トリップBACK NUMBER
初めて明かす甲府での3年間の秘話。
城福浩が語るプロヴィンチャの苦悩。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byTadashi Shirasawa
posted2015/01/08 10:30
2014年シーズン終了後に退任し、現在はフリーの城福浩氏。本人も監督職への意欲を表明しており、噂されているポストも複数ある。城福氏はどのような選択をするのだろうか。
「甲府の置かれている環境は僕の基準ではアウト」
――甲府というクラブについてはどうでしょう。そのような問題を、解決していく力はあるのでしょうか?
城福さんは2014年の最後の記者会見で、とても奇妙なことを仰った。低予算で見事にJ1残留を果たした。しかも前年よりも上の順位で残ったのですから、普通ならば万々歳になる。ところが実際には「甲府をJ1にふさわしいクラブにするという点で、自分が果たしてその歩みを加速できたのか、あるいはブレーキになってしまったのか、わかりません」と述べている。
これは深読みかもしれませんが、甲府というクラブには組織としてやらなければならないことがあるにもかかわらず、組織の実力を超える結果が「出てしまった」という言葉としても解釈できます。
「否定はしません。もちろん、そこに選手の頑張りやクラブに関わる方々の並々ならぬ努力があったことは忘れてはいけませんが、現在、甲府ではビッグクラブなら5人でやるような仕事を2人で回している。スタッフの人数は、僕の基準からすればぎりぎりアウトですし、放浪の環境もアウトです。最低でも専用のクラブハウスや練習場は絶対に必要だし、課題は山積している。
にもかかわらず、甲府市の人や県の人たちが2014年のヴァンフォーレを見て、『クラブハウスや専用の練習場がなくとも、やれるんじゃない?』と捉えるような雰囲気が生まれたのは事実です。クラブの環境を整備していくことを考えた場合に、全ての事柄を含めて自分は本当に役に立てたのだろうかと」
――最低限必要な施設さえないのに、目標を達成できてしまった。
「ヴァンフォーレのような地方の一クラブが、自力のみでクラブハウスと練習場を作るのは相当に難しい。鳥栖や岡山のように行政がインフラを作った上で、クラブに専用で使わせますと宣言してくれることは、一つの道筋になると思いますが」