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<アジア杯、三者三様のFW像> 得点力不足は解消したか。~岡崎慎司、李忠成、前田遼一~
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2011/02/16 06:00
手応えよりも課題や悔しさを口にする李と前田。
「ほんのちょっとの動きで、あそこまで食いついてくるとは思わなかったけど、マークを外せたんで。あれで0.5点ですかね。シュートはもう、得意なタイミングだったから、しっかり振り切ることだけを考えました」
一切の迷いを感じさせない左足ボレーは、控え選手が結果を残す大会を象徴し、通算4度目のアジア制覇へつながった。それでも、「もしあのシュートを外していたらと思うと、ゾッとしますよ」と頬を緩める25歳は、充実感と同時に餓えた思いを漂わせていた。
「課題は山積みですね。足りないところも見えたし。(本田)圭佑とか岡崎とか、北京五輪代表の頃に比べたらうまくなってるし。ボールを取られないですから。それがベースにある。これからも、結果を出すことで道を切り開いていかないと」
現実の重みを実感していたのは、前田にも共通する。手応えを口にするには、できなかったことが多過ぎた。
「3点取れたのは良かったですけど、取れたのは2試合で、サウジ戦は相手が……。監督に持ち味を理解してもらったというより、ダメなところをたくさん見せてしまった気がします。定位置をつかんだ? そんな気持ちはまったくないです。またJで頑張らないと次はないと思うし。手応えも、まあ、少しはありますけど、これが自分の実力かという悔しさのほうが大きいですし」
どうですかねえ、と言葉を詰まらせる。ううんっ、という呟きでやんわりと否定する。ためらいを匂わせるフレーズが列をなすが、それもまた彼らしい。
「やっと、ちょっと、スタートラインに立てたのかなとは思いますけど。いや、あそこがスタートラインだったと思えるように、これからまたチームで頑張らないと」
森本貴幸がケガから復帰すれば、FWはますます激戦区に。
Jリーグでのアピールを決意する二人と対照的に、岡崎はドーハからドイツへ飛んだ。決勝戦の翌々日に、シュツットガルトと正式契約を結んだのだ。複数のポジションを高水準にこなす24歳は、ヨーロッパから成長を発信していくつもりだ。新天地で期待される、ゴールやアシストという結果を残すことで。
「ホントだったら決めているヘッドが、今大会では3本もあった。課題はいっぱいあります。それをまたドイツで克服して、強くなっていけたら。次のW杯を意識しながら、自分の力を上げていかなきゃいけないので。生きる道は色々あるというか、いまはサイドでも楽しさを感じることができている」
彼らの価値観は、アジアカップで何ができたのかではなく、これから何をしていくのかという問題意識に根ざしている。今大会をケガで欠場した森本貴幸が、今後の競争に加わってくるのは確実だ。昨シーズン終盤の爆発で李が抜擢されたように、新たなライバルの出現も想定される。4-2-3-1が踏襲されれば、FWの定位置はひとつしかない。中盤の攻撃的なポジションも候補者がひしめく。
シビアな視線で自分と向き合うのも、ひとつ上の高みを見据えているからこそと言っていい。決定力不足から解放されたドーハでの戦いを好望とするためには、優勝の余韻に浸っている時間さえ惜しい。
岡崎慎司(おかざき しんじ)
1986年4月16日、兵庫県生まれ。'05年、清水エスパルス入団。クラブでの活躍が認められ、北京五輪代表に選出される。'08年9月A代表に初選出、昨年の南アW杯では決勝トーナメント進出に貢献。今大会終了後、ドイツのシュツットガルトに移籍。174cm、76kg
李忠成(り ただなり)
1985年12月19日、東京都生まれ。'01年、高校入学時にFC東京U-18に加入。'04年トップチームに昇格するが出場機会に恵まれず、翌年に柏レイソル、'09年にサンフレッチェ広島へ移籍。'07年に帰化。代表初選出のアジアカップで優勝決定弾を決めた。182cm、73kg
前田遼一(まえだ りょういち)
1981年10月9日、兵庫県生まれ。'00年、ジュビロ磐田に入団。'06年に日本代表初選出。'09年、'10年と史上初の2年連続Jリーグ得点王を獲得した。'10年W杯本戦メンバーから外れたが、今大会は全6試合に先発出場、計3得点し、優勝に貢献。183cm、80kg