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「藤浪晋太郎もいるから、断りました」プロ野球に“27人いた”大谷翔平世代の天才たち…“最後の1人”になった男、ロッテ・田村龍弘の告白「なぜ大阪桐蔭高を辞退したか」
posted2025/02/19 11:25

千葉ロッテの捕手・田村龍弘(30歳)。写真は昨年8月オリックス戦のヒーローインタビューで
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
Sankei Shimbun
◆◆◆
田村さん――。
そう「さん付け」で呼んでいた。
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大谷世代のうちの1人である千葉ロッテの田村龍弘は今、30歳だ。私と20歳以上、年が離れている。
若い頃は、取材相手が社会人である場合、誰であっても敬意を払わなければならないと、頑なに「さん」付けを通していた気がする。しかし年齢を重ね、相手が年下の場合は「君」付けで呼ぶことも増えた。もちろん基本的には敬語で接するのだが、対象が若いスポーツ選手などあまり話を得意としていない人物の場合、遠慮しているくらいなら馴れ馴れしいくらいの方が距離感を縮められることもあるということが段々わかってきたのだ。
同連載ですでに登場している大谷世代の大坂智哉も、渡辺郁也も、岡野祐一郎も、北條史也も、あえて「君」付けで問いかけた。だが、田村にはそうさせない威圧感のようなものがあった。
田村は典型的な早熟タイプだった。田村を古くから知る人たちは「今も昔も体は同じです」と口をそろえる。
田村がぶっきらぼうに言う。
「小学校のときに168(cm)ぐらいあった。そっからはあんまり伸びませんでしたね。4cmぐらいしか伸びなかったです」
現在のプロフィール欄の身長は172cmだ。ただ、高校3年生のときのプロフィール欄には〈身長173cm、体重77kg〉とあった。しかし、自己申告による身長・体重は鵜呑みにできない。特に高校生の場合は新聞社等のアンケートに対しては、小さいとなめられるという表向きの理由はあるものの、ある種のノリで「盛り」がちなのだ。
田村も1cmくらい、あるいはもう少し盛っていたのではないか。そう見えなくもなかった。
北條史也(元阪神)の証言「田村はスゴすぎました」
大阪府狭山市で生まれ育った田村は小学校時代、エースとして大阪の名門ジュニアホークスで全国制覇を果たしている。中学は全国的な野球どころでもある大阪の南、阪南エリアのオール狭山ボーイズでプレーし、1年生のときから「4番・エース」として活躍した。同エリアのライバルチーム、大阪泉北ボーイズには、あの藤浪晋太郎(マリナーズ)もいた。3年夏にはボーイズリーグの日本代表に選ばれ、投手兼捕手として世界大会3位に貢献している。