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「藤浪晋太郎もいるから、断りました」プロ野球に“27人いた”大谷翔平世代の天才たち…“最後の1人”になった男、ロッテ・田村龍弘の告白「なぜ大阪桐蔭高を辞退したか」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph bySankei Shimbun
posted2025/02/19 11:25

千葉ロッテの捕手・田村龍弘(30歳)。写真は昨年8月オリックス戦のヒーローインタビューで
「ピッチャーとしての限界は見えてたんで。これ以上、球も速くなんねえんだろうなって思ってたし。でも、バッターならまだまだできると思ってたんで」
矜恃と、断念。田村の中には相反する資質が同居していた。
「光星? どこやねん」
「行ってない高校の名前を出すのはあれなんで……」と明言はしなかったが、田村クラスの選手なら何十という単位の高校から勧誘されていたとしても不思議はない。その中から田村が最終的に選んだのは青森県八戸市にある光星学院(現・八戸学院光星)だった。
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「北條が一緒に行こうと言うんで。光星と言われたとき、どこやねんと思いましたけど。青森といったら青森山田しか知らなかったんで」
じつは北條は当初、スポーツ活動が盛んな青森山田高校に進むつもりでいた。しかし光星学院の前監督である金沢成奉に熱心にくどかれ、土壇場で鞍替えしたのだという。田村が思い出す。
「中学のチームの指導者に甲子園に行きたかったら青森山田、プロになりたかったら光星へ行けって。光星の金沢さんは指導がうまいと評判だったんです。坂本勇人(巨人)さんとかも育てていたので。僕も甲子園に出るよりもプロ野球選手になりたかったので」
八戸市は太平洋に面した漁師町だ。冬は日本海側に比べるとさほど降雪量は多くない。しかし、そのぶん冬の景色が寒々しく、寒さが身に染みるところでもある。田村はそんな土地へ行くことにもまったく抵抗がなかったという。
「親から言われてたんです。『帰って来られへんように遠いところでやれ』って。だから、そもそも関西の高校に行くつもりはなかった。親父もそうだし、兄貴2人もそうなんですけど、みんな大阪の高校に行って、野球を辞めて(家に)帰ってきてるんで。だから母親は遠くへ飛ばしたかったみたいで。地方に行けば帰ってこれないじゃないですか」
田村が早熟のハンディを感じ始めたのは高校に入ってからだった。
<続く>
