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大谷翔平世代、消えた天才も…ロッテ・田村龍弘はなぜ“最後の1人”まで生き残れたか? “身長172cm”田村が守ったルール「これはアカンわ…」高2の大谷を敬遠した日
posted2025/02/19 11:26

1994年度生まれの大谷翔平と田村龍弘(ともに現在30歳)。写真は2017年のプロ野球オールスターで
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
今年度、30歳を迎えた大谷翔平世代、いわゆる1994年度生まれの代。大谷が日本ハムに1位指名された2012年ドラフト。同じ高卒組でプロ野球(NPB)に入ったのは27人だった。13年が経ち、NPBでプレーするのは千葉ロッテ田村龍弘、1人だけになった。“最後の1人”田村本人に聞く。【全4回の2回目/3回目へ】
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田村龍弘が早熟のハンディを感じ始めたのは高校に入ってからだった。本人が言う通り、小学校のときすでに168cmくらいあり、その後、4cmほどしか伸びなかった。
「高校1年のときは、まだ、そんなに小さい方じゃなかった。でも2年、3年と上がるにつれて、みんな伸びてくる。そうなると、チームで真ん中ぐらい、小さい方ってなっていって、急激に体がデカなったやつの飛距離がめっちゃ出始めたりするんです」
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実は田村は唯一の生き残りだ。大谷世代の中で高校卒業と同時にNPB入りを果たした2012年高卒ドラフト組は27人いる。そのうち大谷翔平(ドジャース)、鈴木誠也(カブス)、藤浪晋太郎(マリナーズ)の3人は海を渡り今も現役だが、NPBでプレーを続けた選手の中で今もユニフォームを着ることができているのは田村だけなのだ。
「プロでも小さくてバリバリ活躍している人って、そんなにいないですよね。今だったら森(友哉=オリックス)、甲斐さん(拓也=巨人)、近藤さん(健介=ソフトバンク)、吉田正尚さん(レッドソックス)くらいじゃないですか。やっぱり体の大きさで、エンジンも違ってくる。でかい方が筋肉量も多いでしょうし、腕が長いから飛ぶでしょうし」
早熟な天才たちの苦悩
アマチュア時代、「化け物」と呼ばれながらも、人知れず消えていった選手のおそらく何割かは早熟という悲運に泣かされている。小学校時代、東北の大谷世代でもっとも有名だったと言っても過言ではない渡辺郁也もそうだった。
渡辺は小学6年生のとき、東北の実力者が集まる楽天ジュニアに選ばれた。そこで実質的なエースとして12球団ジュニアトーナメントを戦い、チームを優勝に導いている。中学進学時、渡辺はさまざまな選択肢がある中で、仙台育英高校の附属中学である秀光中を選んだ。その前年、2005年に創部したばかりの実績も何もない野球部だった。ただ、同中学の若い監督の情熱にほだされたのだという。その監督とは大学を卒業したばかりの須江航だった。
須江は現在の仙台育英の監督で、2022年夏、東北勢として初めて全国制覇を成し遂げた名指導者である。須江はこう悔やむ。