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「清原正吾と一緒にドラフトを最後まで見た」慶大の監督が明かした“清原正吾の進路”「野球をやめると思う」発言の真意「初めて口にすることですが…」
posted2024/11/04 18:11
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Yuji Yanagawa
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ドラフト当日、現場の様子
一度、10月24日のドラフト会議の日に時計の針を戻す。
会見場となった慶應義塾大学の協生館2階・藤原洋記念ホールの壇上には3席が用意されていた。向かって左から監督の堀井哲也、プロ志望届を提出した遊撃手の水鳥遥貴、そして清原正吾の順で席札が貼られていた。3人は指名があった場合のみ、会見に応じることが事前に通達されていた。
17時にスタートしたドラフト会議の1巡目指名が終わり、2巡目、3巡目を過ぎても慶應のふたりが呼ばれることはなかった。30社65名の報道陣が会場を訪れていたが、何も動きがないために退屈になったのか、その頃には居眠りする記者やカメラマンもちらほらいた。
会場に動きがあったのは4巡目の指名が始まった直後だ。慶應義塾の広報担当者によって、水鳥の名が書かれた紙が外されたのである。つまり、水鳥には“順位縛り”があり、3位までに指名がなければ別の道に進むと事前に決めていたのだろう(後日、社会人の明治安田に進むことが公表された)。
一方、正吾の席札は貼られたまま、ドラフト会議は進んでゆく。正吾の名が貼られている限り、順位が何位だろうと、契約形態が育成だろうと、正吾には入団の意思があるということだ。
しかし、ドラフト開始から3時間半が経過した20時半、全球団が育成までの指名を終えた。最後まで残った福岡ソフトバンクの「選択終了」がモニターに映し出された瞬間、待ち構えていたカメラマンがその四文字をカメラに収めていた。
事前に調査書が届いていなかったことから、「99%指名はないだろう」と思っていた堀井は、控え室で正吾と共にドラフトの様子を最後まで見守っていた。
「最後までドラフトを一緒に見ていた」
この日、父の清原和博や母の亜希の姿はなかった。もし来場していたら混乱を招く。そうした配慮だろう。堀井の隣でドラフトに野球人生を委ねていた正吾は指名がなかったことをどのように受け止めていたのだろうか。