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日本プロ野球が「いい選手でなければ監督になれない」ワケは? 元日ハム&横浜GM・高田繁が語る「アメリカ型がなじまない」“意外な理由” 

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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posted2024/09/25 11:06

日本プロ野球が「いい選手でなければ監督になれない」ワケは? 元日ハム&横浜GM・高田繁が語る「アメリカ型がなじまない」“意外な理由”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2005年からは北海道日本ハムファイターズで初代GMを務めた高田繁氏(中央)。その経験で感じたチーム作りの秘訣とは?

――現在、12球団のGMで選手上がりではないのはソフトバンクの三笠杉彦GMぐらいで、ヤクルト小川淳司さん、オリックス福良淳一さん、西武のGMから今シーズン途中で監督代行になった渡辺久信さんも選手上がり。日本ハムは高田さんの後に、山田正雄さん、吉村さんがGMをやりましたが、2021年からは稲葉篤紀さん、今年からは栗山英樹氏がチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)というGM兼務のこれまた新設された役職に就任しました。

高田 そういうことや。日本の場合は、選手経験があるとないとじゃ風当たりが全然違う。あんなに優秀な吉村くんでさえGMになってケチョンケチョンに叩かれとったやろ。今は肩書を変えてるみたいやけど、その方が賢いわ。「野球がわかること」と「人を見ること」はまったく別の話や。日本ではチーム作りにおいて、まずそこの考え方が理解されないから、アメリカ的なGM制度はこの国の野球界には根付かないんやろね。

大事なのは「チーム作りの方針がブレないこと」

――かつて連合艦隊司令長官と並ぶ名誉職とまで言われたプロ野球の監督ですから、日本人には原(辰徳)さんや星野(仙一)さんのような全権監督の方が馴染みやすい気はします。

高田 大事なことはチーム作りの方針がブレないことや。結局、監督はずっといるわけじゃない。監督がチームのすべて、コーチやスタッフ、フロントやスカウトにまで口を出し、連れてきたら、その監督が辞めた瞬間、チームはまたイチから作り直しになる。ベイスターズだって前身の横浜大洋ホエールズ時代に古葉(竹識)さんを監督に連れてきたことがあったやろ。

――1987年に大洋の監督になった古葉さんは、ヘッドコーチの寺岡孝さんをはじめ、スカウトの木庭教さんなど、カープから多くの参謀を連れてきましたが5年契約の3年で退団すると、他の人たちも間もなく退団していきましたね。

高田 その後の監督は須藤(豊)さんや。これでまた野球がガラッと変わってしまったやろ。そうなると、混乱するのは選手やからな。優秀なコーチやスタッフには監督関係なく、チームとして残ってもらわなければいかん。考え方はいろいろあるやろうけど、チームとしての考え方は一貫性をもってフロントで長く見られる人がやっていくのが理屈に適っていると思うよ。

――高田さんがGMになって20年が経とうとしていますが、その後の野球界で成功したと呼べるようなGMが出てきていないのは何故だと思われますか。

高田 俺の場合は最初に日本ハムでGMになった時に、3人でやれたことがよかったんやろな。俺自身は自分の得意な選手を見るということに特化出来て、ほかのことは吉村くんらのような優秀な人がサポートしてくれた。その後、横浜でGMを一人でやれたこともこの時の経験があったからやろな。そういう意味では俺は本当に恵まれていたんだと思うよ。

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