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5歳上の張本勲に「巨人では俺が先輩…」伝説は本当? 元巨人V9メンバー・高田繁に聞く“組織作り”のコツ「チーム作りに年齢なんて関係ない」
posted2024/09/25 11:04
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
JIJI PRESS
生まれは鹿児島の薩摩隼人。育ちは大阪。名門・浪商のケンカ野球で生を受け、明治大学島岡学科の首席卒業と呼ばれた神宮の華から、V9巨人の川上野球を骨身に刻み込んだ現役時代。引退した後は、日本ハム監督、巨人二軍監督、北海道移転後の日本ハムGM、ヤクルト監督と各地を転々としながら、若いチームの土台づくりを担ってきた。
7月に御年79歳となり、プロ野球の第一線から退いて早5年。野球人永遠の課題である「チーム作り」の考え方を後世に伝えるべく、高田繁は50周年を迎えた日本ハム監督時代について語り始める。<NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む>
――今月もよろしくお願い致します。79歳のお誕生日を迎えられました。おめでとうございます。
高田 おお、ありがとうね。
――先日(7月2日)は日本ハムの「50周年シリーズ」でエスコンフィールドにてセレモニーピッチをされましたね。キャッチャーに日本ハムOBの三沢今朝治さん、バッターボックスには新庄剛志監督という粋な人選でした。
高田 試合中の新庄がまさか打席に立ってくれるとは思わなかったよ。あいつはああいうお客さんを喜ばせることが自然にできるんだよな。中畑(清)と同じだよ。キャッチャーの三沢さんも俺がGMで日本ハムにいた時の統括本部長でね。新庄が日本に帰ってくるときに、獲得にあたってくれた人でもあるんや。新しい球場も素晴らしかったし、感慨深いセレモニーになったよ。
日本ハムで「監督」と「GM」を歴任
――日本ハムファイターズ50年の歴史の中でも、高田さんは監督(1985年~1988年)とGM(2005年~2007年)という要職を務められてきました。
高田 うん。これも本当に縁だよね。日本ハムからオファーが来たのは俺が39歳の時や。それまで巨人ひと筋で現役を終えて、4年間NHKの解説者をやっていた俺のところに、何の縁もなかった日本ハムから監督に来てくれと話があった。考えてもいなかったよ。コーチだってやったことがない人間にいきなり監督やからね。さらにそれから20年後、チームが北海道に移転した後にはGMでも呼んでもらってね。(トレイ・)ヒルマンのおかげで3年のうちにリーグ優勝を2回もさせてもらえて、本当にいい経験をさせてもらえましたよ。
――監督でもGMでも最初の球団ですから、高田さんにとっても特別ですよね。
高田 そうやな。いろんなことを経験させてもらえたからね。日本ハムの何がすごかったかって、やっぱりね、オーナーが本当に素晴らしい人やった。2代にわたってお世話になっているけど、野球が大好きでね。特に初代の大社義規オーナーは本当に素晴らしい人やった。最初の2年はなかなか勝てなかったんだけど、負けが続いても「高田さん、大変だけど頑張ってくれよ」と常に激励してくれてね。現場に対しては本当にやさしい人だった。