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大谷翔平世代の「消えた天才たち」のウラで中日入団…超無名選手はなぜプロ野球に行けた? 1人だけ補欠“バカにされた”150cmの中学1年生、逆襲が始まった日

posted2024/09/21 11:02

 
大谷翔平世代の「消えた天才たち」のウラで中日入団…超無名選手はなぜプロ野球に行けた? 1人だけ補欠“バカにされた”150cmの中学1年生、逆襲が始まった日<Number Web> photograph by KYODO

2020年から4年間、中日でプレーした岡野祐一郎

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中村計

中村計Kei Nakamura

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今年で30歳を迎える大谷翔平世代(1994年度生まれ)。かつて大谷以上に「化け物」だった男たちが野球を諦めていく中で、“超無名選手”がプロ野球の世界にたどりつく。中学時代はチームで唯一補欠で、将来の夢は公務員――昨年現役を退いた岡野祐一郎(元中日)の物語である。【全4回の1回目/2~4回も公開中】

◆◆◆

 どちらのレールに進むべきか――。岡野祐一郎の場合、母親の嘘が分岐器になった。

 2009年秋、岡野が中学3年生だったときのこと。学校から帰ってくると、母親が目を輝かせていた。

「特待、決まったよ」

 心臓が跳ねた。

「ほんと?」

 岡野の進学先が福島県内の最強豪校に決まった瞬間だった。進路の決定が夏以降までずれ込んでいた同学年の大谷翔平が花巻東高校に進路を絞ったのと同じ時期だろう。

なぜ超無名選手がプロ野球選手に?

 岡野が通っていたのは石巻市立門脇中学校だ。宮城県の北東、牡鹿半島の付け根に位置する石巻市は2011年の東日本大震災のときもっとも多くの死亡者・行方不明者(3970人)を出した市町村でもある。震災時、避難所になった同校は少子化の影響で2021年春に閉校している。

 大谷と同学年の選手たちのその後を追う過程で、今、痛切に感じていることがある。小・中・高校時代に大谷同様に「すごいヤツ」と言われた選手、あるいは大谷以上に「バケモン」と呼ばれていた選手は、誤解を恐れずに言えば、いくらでもいた。ただ、驚くべきことに、そのうちのほとんどの選手が小さい頃に憧れたプロ野球の世界まで辿り着けていなかった。

 そんな中、誰に聞いても「すごいと思ったことはない」と言われながら、高校卒業後、大学、社会人とすべての段階を経て、プロ野球に辿り着いた選手がいた。それが聖光学院出身の岡野である。

 岡野の野球人生を辿りながら、何度となく思い浮かべた寓話がある。『ウサギとカメ』だ。それまで私はこの物語は大人が子どもに言いがちな「努力すればできないことはない」式の説教じみた話だと思っていた。

 だが、今は少し違う。

【次ページ】 「ただ1人ベンチ」中学1年で挫折

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