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大谷翔平世代の「消えた天才たち」のウラで中日入団…超無名選手はなぜプロ野球に行けた? 1人だけ補欠“バカにされた”150cmの中学1年生、逆襲が始まった日
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2024/09/21 11:02
2020年から4年間、中日でプレーした岡野祐一郎
岡野は小学3年生のとき地元の大街道キッズで野球を始めた。入団後しばらくは主に捕手を任されたが、高学年になるとマウンドに立つようになる。小学生にしてはそこそこいい球を投げられるし、何よりもコントロールがよかった。
岡野の話し方は常に一定だった。興奮して声が上ずることも消沈して声が小さくなることもない。その落ち着き振りは現役時代の岡野のマウンドさばきを彷彿とさせた。
「コントロールはそこまで困らなかったというか。ストライクが入らなくて試合を壊すみたいなことは、あんまり記憶にないですね。野球をしていて」
「ただ1人ベンチ」中学1年で挫折
大街道キッズは石巻市内ではそれなりの戦績を誇ったが、県大会で戦えるほどのレベルではなかった。岡野は中学生になったら、もっと強いチームで野球をやりたいと思っていた。
中学校の野球部は指導者によって熱心なところとそうでないところの差が大きい。そこへいくと中学生を対象にしたシニアリーグ所属の硬式クラブチームはどこも熱意が感じられた。
石巻市内にシニアのチームは3つあった。岡野はそのうちもっともいい選手が集まってくる石巻中央シニアへの入団を決めた。のちの話になるが東日本大震災の翌年、2012年に21世紀枠として選抜高等学校野球大会に出場することになる石巻工業の三浦拓実−阿部翔人のバッテリーも石巻中央シニアに入ってくると聞いていた。岡野が言う。
「自分もチームではいちばんうまいと思っていたし、やれると思っていた」
ところが、その見込みは大きく外れることになる。同学年の選手は10名ちょっとだった。入団後、最初の公式戦となった1年生大会で岡野はただ一人、出番を与えられなかった。
「あのときは嫌な記憶しかないですね」
そして、その状況は3年生になってもほとんど変わらなかった。