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大谷翔平「50-50達成」の原点…プロ初本塁打を“打たれた”男の告白 引退後に変わった“第1号”への想い「打たれた当時は悔しかったですけど…」
posted2024/09/21 06:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
大谷翔平選手についてなんですが――。
楽天でピッチングコーチを務める永井怜は、この問いだけですべてを理解したように「ああ、はいはい」と反応し、声をあげて笑った。素早いリアクションもあり、これまで何度も聞かれたテーマなのかと尋ねると、彼はかぶりを振って懐かしむように言葉を結ぶ。
「言われることはないんですけどね。でも、自分のなかでは印象に残っていますよ」
大谷のプロ初ホームラン。
それを許したのが永井だった。
2007年に東洋大から楽天に入り、1年目から7勝を挙げた。09年には岩隈久志、田中将大との「先発3本柱」の一角として13勝をマークし、球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献するなど、楽天の黎明期において投手陣の屋台骨を支える存在だった。
プロ7年目の右腕が対峙した「ルーキーの記憶」
その永井が、2013年に鳴り物入りで日本ハムに入団した大谷と初めて対峙したのは、この年の7月10日である。
ゴールデンルーキーの前評判は、意識せずとも耳に入ってきた。
花巻東時代に高校通算56本のホームランを放ち、ピッチャーとしては当時の高校生最速となる160キロを叩き出した。プロでは投打の“二刀流”として挑戦するほど傑出した能力の持ち主であることを理解しながらも、プロ7年目とキャリアを重ねる右腕は、大谷を特別視せず「一選手」と見ていた。
「対戦する以上は何年目とか、高卒だろうが大卒だろうが、しっかりと投げようと」
楽天の本拠地であるKスタ宮城(現:楽天モバイルパーク宮城)の先発マウンドに立った永井が、「7番・ライト」でスタメン出場の大谷と相まみえたのは2回。2アウト、ランナーなしの場面だった。
チームミーティングで擦り合わせた「大谷対策」は、すでにインプットされていた。