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「1000分の1も怒らなくなりました」名門野球部の“熱血コーチ”だった男が女子野球部の監督に?…37歳指導者が驚いた「男女のギャップ」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byGenki Taguchi

posted2024/06/27 19:00

「1000分の1も怒らなくなりました」名門野球部の“熱血コーチ”だった男が女子野球部の監督に?…37歳指導者が驚いた「男女のギャップ」<Number Web> photograph by Genki Taguchi

今年3月まで強豪・盛岡大附で部長兼コーチを務めた松崎克哉は、4月から聖光学院女子野球部の監督に就任した

 杞憂だった。選手たちはまるで、監督から怒鳴られたことなどなかったかのようにはきはきと挨拶し、笑顔で練習に励んでいたのだ。

「切り替え、早すぎんべ」

 松崎は、選手たちに救われた気分になった。

「自分は反省しているのに、彼女たちは気にしてる様子がなく(笑)。それでいいんですけど、やっぱり男子と女子の接し方というか、対応の匙加減は難しいなって思いますね」

 松崎が求める聖光学院女子野球部の根幹とは、男子野球部と同じ「不動心」である。

 聖光学院において、不動心とは神髄だ。

 その言葉通り「揺るぎない心を養う」ことはもちろん、「不幸をどれだけ受け入れ、自分を律せられるか」といった意味も込められている。松崎が選手たちを叱りつけたのは、チームで決めた精神を裏切る行為が許せなかったからでもあった。

 それだけ、松崎の体にはこの不動心が血液の如く脈々と流れているのだ。

20年前の聖光学院の「熱血キャプテン」

 今からちょうど20年前。松崎は聖光学院でキャプテンを務めていた。

 当時から責任感の塊のような男だった。

「俺たちの代で何としてでも甲子園に出なければ」という想いがプレッシャーとストレスになり、毎日のように人知れず嘔吐していた。熱量が高すぎるあまり周りの選手との温度差が生じ、距離が離れてしまう時期もあったが、主力、控え問わず一人ひとりと対話を重ねることで「チームの想いとは、様々な感情を束ねることなんだ」と気づいた。そして2004年の夏、松崎が統率する聖光学院は、甲子園初勝利を含む2勝を挙げたのである。

 高校時代の松崎の歩みを知る男子野球部監督の斎藤智也は、教え子を「聖光学院OBの代名詞」と最大限の評価を与えている。

「いい生き様を見せてくれたOBはたくさんいんだけど、あの時代の聖光学院っていうのはまだ産声を上げたばかりみたいな状態だった。そのなかで松崎は、間違いなくのちの聖光学院の礎となる男だったわけで。そういう意味で特別ではあるよね」

 聖光学院の女子野球部が誕生するにあたって、松崎に白羽の矢を立てたのが斎藤だった。

【次ページ】 男子野球との違い…女子野球は「新世界」

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