甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平18歳の気遣い「この角を曲がったらダッシュしよう」水本弦が懐かしむ“日本代表・韓国の休日”「大谷選手は嫌な気持ちにさせないんです」
posted2024/06/23 17:02
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Chung Sung-Jun/Getty Images
初対戦から半年後、後にスーパースターとなる同学年の本当の素顔を知った。大阪桐蔭の主将だった水本弦は2012年8月、史上7校目となる甲子園春夏連覇を果たした。その余韻に浸る間もなく、18歳以下日本代表の合宿に合流した。
韓国で開催された第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表メンバーには、花巻東の大谷翔平(現ドジャース)も入っていた。2012年春のセンバツで対戦した水本と大谷はチームメートになった。2012年夏は大阪桐蔭が甲子園を制した一方、花巻東は岩手大会の決勝で盛岡大付属に敗戦。水本が大谷のプレーを直接見るのは半年ぶりだった。
大谷、藤浪、森に田村…雰囲気はどんな感じだった?
それぞれの高校で日本一を目指した2人はライバル関係を解消し、世界一に向けて力を合わせる。大谷はエースナンバーを背負い、水本は主将。ともにチームの中心を任された。
メンバーは豪華だった。大谷や藤浪晋太郎(現メッツ)、森友哉(現オリックス)や田村龍弘(現ロッテ)ら高校卒業後にプロ入りする選手が多かった。水本は「社会人やプロまでプレーした選手ばかりでした。すごい選手が集まっていたので、十分に優勝する力があると思っていました」と回想する。
日本代表で戦う期間は短い。普段は別々の高校でプレーしているため、選手たちが互いの距離感を埋められないまま大会が終わって解散するケースもある。この時のチームはまとまりがあって、ノリが良かったという。雰囲気をつくっていたのが、最多の4人が選出された大阪桐蔭と3人が選ばれた光星学院。光星学院の選手は大阪出身だったこともあり、チームは自然と関西色が強くなった。
その中で、輪の真ん中にいたのが東北で生まれ育った大谷だった。
水本が記憶をよみがえらせる。
「チームは明るかったですね。特に関西出身の選手同士は、すぐに仲良くなりました。不思議だったのが、大谷投手は関西出身の選手しかいないところでも中心にいるんです。どの選手とも、すぐに打ち解けていました」
木製バットでも大谷は順応していた
大谷は対応力の高さを打撃でも見せた。