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「落合さんには絶対負けないから…」現役引退直前、巨人・原辰徳が悩んだ“37歳の孤独”…41歳落合博満へのライバル意識「ああ、どうしてだ!」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/03/31 11:05

「落合さんには絶対負けないから…」現役引退直前、巨人・原辰徳が悩んだ“37歳の孤独”…41歳落合博満へのライバル意識「ああ、どうしてだ!」<Number Web> photograph by KYODO

1995年10月1日、長嶋茂雄監督に現役引退を報告した巨人・原辰徳(当時37歳)

 8月のある試合、ハウエルが家庭の事情で帰国し、スタメン三塁が不在となった。長嶋監督は前日まで左翼を守り、打撃不振に喘ぐ広沢克己を三塁に起用する。このとき、原は試合前練習で落合の控えとして一塁守備についていた。なお、その翌日の三塁は若手の吉岡雄二が抜擢されている。吉岡は原が海外自主トレに連れて行き、可愛がっていた後輩のひとりだった。首位ヤクルトの背中が遠のき、世代交代を推し進めるチームに居場所もなくなっていく。初夏に37歳の誕生日を迎えた背番号8は、FA組や若手の後塵を拝し、もはやほとんど構想外のような扱いである。

「スタメンを決めるのは首脳陣の仕事で、ボクがとやかくいうことじゃないし、それまで打っていなかったボクが悪いんだ。けど、あのときボール回しでサードへ行く気にはなれなかった。いけないことなんだけど……」(週刊読売1995年11月12日号)

「今季限り、原辰徳引退」報道

「7番三塁」で久々に先発した8月17日の広島戦では、10回表一死満塁のチャンスであえなく空振りの三振に倒れる原の姿。試合後は悔しさからか目を真っ赤にして一言も発せようとせず、担当記者たちも近寄りがたい雰囲気だったという。一方で4番の落合は、その試合でシーズン10度目の猛打賞を記録。にわかに最年長首位打者の可能性も騒がれ出す。この頃の落合からは、野球をとことん突き詰める打撃の職人のようなストイックさと凄味すら感じさせた。

「若いころはパワーや勢いがあったから、理想のフォームでなくても打てたし、タイトルも取れたんだよ。でも、年を取ると、そういうわけにはいかなくなってくるんだ。打つためにはより完璧なフォームを求めることになるんだよね。それに、経験を積めば積むほど技術レベルは上がってくるから、あそこが足りない。ここが足りないと考えるようになる」(週刊ポスト1995年6月23日号)

 年齢を重ね体力は落ちるが、そのときの自分に合わせ己の打撃を変化させ、進化させればいい。そんな底知れぬオレ流との4番争いの果てに、選手・原辰徳の夢の終わりは近づいていた。

 そして、8月21日、複数のスポーツ紙の一面で、ついに「原引退」が報じられるのである――。

<続く>

#33に続く
「原ほど可哀想な選手はいない」“落合vs原”現役引退の年、37歳原辰徳は何度も泣いた…41歳落合博満に負けた原「引退スピーチでの“名言”」

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