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オリンピック5大会連続出場を決めた日本カヌー界のパイオニア・羽根田卓也がリオ2016と東京2020で流した涙に込められた異なる感情とは?
posted2024/04/24 10:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Getty Images
夢に見たオリンピックの舞台で、カヌー・スラローム男子カナディアンシングルの羽根田卓也は二度泣いた。
一度目はリオ2016。筆者はメインメディアセンターのモニターで戦いを見た。準決勝を6位で通過し、10人で行なう決勝の5番目にスタートした羽根田は、難コースに手を焼いてミスをする選手が出る中、巧みなパドル操作としなやかなボディコントロールで好タイムを叩き出し、ゴールした時点で2位につけた。
ゴール付近の待機エリアで艇に乗ったまま、残り5人の結果を待った。8番目に出たフランス選手に抜かれて3位に後退したが、残りの2選手はミスもあって羽根田の銅メダルが確定。その瞬間、29歳(当時)の苦労人は左手で顔を覆って号泣した。4位とはわずか0秒13差。世界のライバルたちが、次々と艇に近寄って肩を叩き、スラローム種目のアジア勢初メダリストを祝福した。日本のパイオニアは「このメダルの意義をライバルたちは分かってくれている」と感謝し、なおも涙をこぼした。
愛知県に生まれ、かつてカヌー選手だった父の勧めで小学校3年生から競技を始めた。3歳上の兄は両端にブレードのついたパドル(ダブルブレードパドル)で漕ぐカヤック種目の選手だったが、「兄と競いたくなかったし、手足が長くて向いているから」との理由でシングルブレードパドルを使うカナディアン種目を選んだ。
高校卒業後の2006年、単身でカヌー強国のスロバキアへ渡った。まだ18歳。言葉の通じない国での苦労は並大抵のものではなかったが、競技力は確実に上がった。オリンピック初出場となった北京2008は予選14位で敗退したものの、ロンドン2012では決勝に進出して7位入賞を果たした。
2013年には2020年のオリンピックが東京開催となることが決定。大会に向けた機運が日本国内で高まる中、リオ2016で感無量の涙にむせぶ羽根田の姿は、多くの人々の胸を揺さぶった。
「日本人がこの競技でメダルを獲るなんて、日本を飛び出した10年前には誰も信じていなかった。でも僕は本気だった。競技人生の中で一番高いパフォーマンスが出た」
涙の乾いた表彰式で満面の笑みを振りまいた羽根田は誇らしげだった。
緊急事態宣言中には動画でアスリートの強さを発信
「スロバキアに行った当初は若くて、血気盛んで、未熟で、恐いもの知らずだった。世界で戦いながら厳しさも味わい、そういう面ではすごく成長できていると思う。行かなきゃいけなかったと思うし、改めて行って良かったと思う」と話したこともあった。
それから5年が過ぎた2021年。母国である日本で、1年遅れとなった自身4度目の大舞台を迎えることになった。世界はこの間、新型コロナウイルス禍に苦しみ、アスリートたちを取り巻く環境も激変していた。けれども、羽根田がくじけることはなかった。緊急事態宣言が発令されて外出すらできなくなった2020年には風呂に水を張ってパドルを漕ぎ、動画をSNSに投稿してアスリートの強さを発信し、人々を元気づけた。
以前のインタビューで競技の魅力について羽根田に聞いたことがある。カヌー・スラロームは所要時間とゲートへの接触や非通過のゲートの有無による減点を計算して順位を決める競技。羽根田はその極意について丁寧にかみ砕いて説明してくれた。
「前提として、人工のコースで同じように水を流していても壁にぶつかったり、水同士がぶつかり合ったりすることで水の流れは二度と同じにならない。(コース上で)激流の関門に差し掛かった時、それが不利な流れであればどうやってロスなく通り抜けるかがカヌー・スラロームの極意。逆に有利な流れの時は、それを最大限に使って推進力に変え、タイムアップにつなげられるかが勝敗を分ける技術になる。そこがやっていてすごく面白い」
また、「水の流れを読むこと、感じることは日常会話と同じ。カヌーにはいろいろな技術が必要だが、他の何よりも水の呼吸を読める選手が一番強いんです」とも話していた。