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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「タイムは最強」アメリカ名門大学チームは、なぜ駅伝で苦戦する? アイビーリーグ選抜監督に聞いた敗因「招待いただいたのに…悔しすぎる」
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byNanae Suzuki
posted2023/11/05 06:00
これまで計23回、出雲駅伝に参戦してきたアイビーリーグ選抜。ベスト記録は日本選手を上回るが、なぜ苦戦が続くのか。監督に聞いた
フルツ監督の目に焼き付いているのは1988年4月9日、ニューヨークの街中を封鎖し、日本やソ連など9カ国と全米50の州代表を含めた計61チームが5区間50kmの駅伝コースを駆け抜ける姿だ。その様子をとらえるべく摩天楼を縫うようにヘリコプターが飛び交う。スポンサーのついた大会名は「1988 ASICS CUP AMERICA‘S EKIDEN」。日本はバブル経済真っ只中だった。
「アイルランドのジョン・トレーシー(4区15km、ロサンゼルス五輪男子マラソン銀メダリスト)が激走を見せて優勝したのを覚えています。『これがエキデンか』と初めて知りました。でも、アメリカではその後エキデンは速さを競う競走種目ではなく、より長く時間をかけるファンランのような楽しむイベントへとシフトしていったんです」
河野・オールデン構想
フルツ監督が本場の駅伝に関わるようになったのは、それから数年後のこと。振り出しは全日本大学駅伝だった。
「1990年にアイビーリーグ選抜は日本で初めてのエキデンに参戦しました。これには政治家としても知られる河野洋平氏が大きく関わっているんです。アイビーリーグの1つであるブラウン大学の卒業生、バーン・オールデン氏との間で、アイビーリーグの学生に国際的なレースの経験をさせようという構想ができあがり、それが実現したのが1990年のナゴヤの全日本(大学駅伝)。それに僕の知人も関わっていて、誘いがあり、1996年頃から監督をするようになりました」
全日本大学駅伝の長距離区間で苦戦
しかし、アメリカの大学出身ランナーからすれば、全日本大学駅伝8区間106.8km、平均13km近い道のりは長く、苦戦が続いたという。そのため、1区間の距離が短く、区間数も少ない出雲駅伝(6区間42.6km)への出場を希望し、1998年に出雲駅伝へ“転戦”。以降、コロナ禍と台風などを除き、計23回出場を果たしている。今シーズン、全国化が話題になった箱根駅伝だが、出雲駅伝では遥か広く昔から世界に門戸を開いてきた。
出雲駅伝ではレース後、交流を深める目的で学生同士のパーティーが行われるが、そのパーティーではアイビーリーグが音頭を取って『Y.M.C.A』を踊るという学生らしい国際交流がもはや定番となっている。
エキデンの話をすると友人から羨ましがられる
そして、4年ぶりの参加となった出雲駅伝についてフルツ監督はこう振り返る。