巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで 

text by

中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

PROFILE

photograph byKYODO

posted2023/08/27 11:03

落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで<Number Web> photograph by KYODO

1986年オフにロッテから中日にトレードされた落合博満。1億3千万円(推定)でサインし、日本人選手初の1億円プレーヤーに

 そこで逆転の落合獲りに動いたのが、中日新監督の星野仙一だった。後年、星野が明かした裏話によると、「もう30年もたつんだから時効かな。ロッテは篠塚(和典)を欲しがった。でも巨人としては出せないと。それから(候補を)いろいろ出したけど、ロッテから見ればいい名前がない。それでご破算になった」(スポーツ報知2016年12月23日付)という。

 前年の85年オフには定岡正二が、近鉄へのトレードを拒否して、電撃引退する騒動があったばかり。篠塚も「出すならオレにも覚悟がある」と匂わせ、第二の定岡になる恐れもあった。のちに“平成の大エース”と呼ばれる巨人の斎藤雅樹も移籍を覚悟していたが、86年12月26日夜に『ニュースステーション』で生中継された落合の中日入団会見をテレビで見て、本当に自分のトレードがなくなったことを知り家族は一斉に拍手をしたという。当時の“巨人ブランド”にはそれだけの魅力があり、そのど真ん中で、ONと比較され過剰なバッシングを受けながら、傷だらけで四番を張っていたのが原辰徳だった。

「落合は巨人ドラ2だった」説の真相

 結局、80年代、幾度となく落合の巨人移籍はマスコミを賑わせながらも、実現することはなかった。なお、野球ファンの間で都市伝説的に語られている「巨人が江川事件で78年ドラフト会議をボイコットしていなければ、落合は2位で指名されていた」という有名な話だが、ドラフトから数年後に元巨人スカウトの内堀保が当時の内情を語っている。

「私は落合を推したが、上層部には有名チーム出身で、しかも名前の売れた選手を好む傾向があって、次の次の年に原を指名するふくみで、江川、森(繁和)と投手がトップ候補となった。結局江川問題で、巨人はドラフト会議をボイコットするのだが、もしドラフト会議に出席しても二位までに落合は指名しなかっただろうな」(月刊プロ野球ニュース86年4月6日号)

 なんと、本人たちの意思がまったく関与しないところで、プロ入り前から落合と原の運命は一瞬だけ交差していたのである。もう永遠に交わることがないであろうと思われた、巨人軍と落合博満――。そして、オレ流と若大将の野球人生。

 だが、1993年12月、球界に激震が走る。

 40歳の落合博満が、長嶋茂雄率いる巨人へのFA移籍を決断するのである。

<続く> 

#5に続く
落合博満37歳が怒り「巨人クロマティが年俸3億円ならオレも3億円だ」中日とまさかの“年俸調停”に「落合は波風立てて…」関係者は否定的

関連記事

BACK 1 2 3
読売ジャイアンツ
落合博満
長嶋茂雄
ロッテオリオンズ
有藤通世
江川卓
原辰徳
王貞治
落合信子
中畑清
ランディ・バース
桑田真澄
槙原寛己
星野仙一
中日ドラゴンズ

プロ野球の前後の記事

ページトップ