近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
8回までノーノーでも交代指示、16四球で191球完投…野茂英雄「日本最後のシーズン」とは何だったのか「鈴木監督はそれでも期待を寄せていた」
posted2024/05/02 11:03
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Koji Asakura
開幕戦は、野茂と心中や
1994年4月9日、西武とのシーズン開幕戦(西武球場=当時)のことだ。
開幕投手を務めた野茂が快投を見せた。8回までノーヒット。0―0で迎えた9回表、4番の石井浩郎が3ランを放ち、試合の均衡を破った。
ところが、9回の先頭・清原和博に右越えの二塁打を許し、史上初の「開幕戦ノーヒットノーラン」の夢が途絶えると、そこから四球と失策も絡み、1死満塁のピンチを招いた。
監督の鈴木啓示が、マウンドへ向かう。守護神・赤堀元之への交代を告げた。
「開幕戦は、野茂と心中や」
開幕前日、鈴木はそう言って、エースに賭ける思いを表現していた“はず”だった。
記録は途絶えたとはいえ、3点リードだ。4年連続最多勝のエースを、この場面で交代させるなんて、前日の言葉は、一体何なのだ? そう思ったのは、私だけではなかったようだ。
赤堀は、伊東勤に「逆転満塁サヨナラ弾」を浴びた。
快勝ムードから、まさかの暗転。それこそ、天国から地獄だった。
根性の指揮官が土壇場で頼ったのはデータだった
ベンチ裏で、中継ぎエースの佐野重樹(現在は慈紀)が「なんでや」「あれ、なんや」。脈絡のない怒りの言葉を絶叫していた。赤堀が試合後に吐露した“ブルペン待機中の思い”も悲痛な響きがあった。
「きのう、野茂と心中って言ってたやん。だから、最後も『ない』って思って……」
鈴木が試合後、語った交代の理由は「野茂と伊東の相性が悪かったんや」。前年の1993年、伊東との対戦成績が野茂は18打数7安打、赤堀は7打数無安打。相性の違いは明白だったとはいえ、猛練習と根性が信念の指揮官が、勝利を左右するまさに最後の最後の場面で、エースの心意気にかけるのではなく、データに頼ったのだ。