巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

「エリートなどくそくらえっ!」年俸540万円、落合博満は12球団で“最も給料が安い”四番バッターだった…そして現れた“8000万円ルーキー”原辰徳

posted2023/08/27 11:02

 
「エリートなどくそくらえっ!」年俸540万円、落合博満は12球団で“最も給料が安い”四番バッターだった…そして現れた“8000万円ルーキー”原辰徳<Number Web> photograph by KYODO

1978年ドラフト3位指名、25歳でロッテに入団した落合博満。プロ3年目の1981年にはレギュラーに定着する

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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プロ野球初のFA選手になり、40歳で巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? この新連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。第2回(前編・後編)は1980年代の“巨人ロッテ・トレード騒動”。何度もウワサされたロッテ落合の巨人移籍はなぜ実現しなかったのか?【連載第2回の前編/後編へ】

◆◆◆

「12球団で最も給料の安い」四番バッター

「いまでもぼくは試合前がおそろしい。この世界は結果でしか判断してくれんでしょう」(週刊明星1981年7月16日号)

 プロ3年目の1981年、レギュラーに定着した27歳の落合博満は、選ばれし者の恍惚と不安の中でバットを振っていた。自身初の打撃タイトル争いを繰り広げ、監督推薦で初出場したオールスターの第2戦では、西本幸雄監督が「これからのパ・リーグを背負って立つ男だから」と全パの四番で起用した。新聞の打率10傑に載る自分の名前にまだ現実感はなく、契約金で川崎市内にマンションを買ったが、年俸は中堅サラリーマンクラスの推定540万円。好物はラーメンライスで、川崎球場近くの喫茶店「オレンジ」でラークを吸って気分転換という、12球団で最も給料の安い庶民派四番バッターでもあった。

“ゴールデンルーキー”原辰徳のデビュー

 そして、落合がようやく辿り着いた夢舞台、81年オールスター戦で、世間の注目を一身に集めていたのが、5歳年下のゴールデンルーキーだった。セ・リーグ三塁手部門で掛布雅之(阪神)をおさえてファン投票1位になった、巨人の原辰徳である。

「Nが去りOがバットを置いたいま、転換期のプロ野球を救うのはタツノリしかいないの声がふくらむ。実力、人気、スター性。果たしてタツノリは“80年代の牽引車”になれるか」(週刊ベースボール80年12月8日号)

【次ページ】 「契約金は球団最高額8000万円だった」

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