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「いまや野球は“絶滅危惧”」甲子園出場、おかやま山陽・堤尚彦監督が警告する“野球界の大ピンチ”「ベンチ入り上限を満たせないチームが無数に存在」

posted2023/08/17 06:00

 
「いまや野球は“絶滅危惧”」甲子園出場、おかやま山陽・堤尚彦監督が警告する“野球界の大ピンチ”「ベンチ入り上限を満たせないチームが無数に存在」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

甲子園で2勝を挙げたおかやま山陽・堤尚彦監督。甲子園出場を本気で目指した理由は「野球界への危機感」からだったという――

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堤尚彦

堤尚彦Naohiko Tsutsumi

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Sankei Shimbun

 この夏、日大山形、大垣日大と甲子園常連校を撃破し、「甲子園3勝」の目標へあと1つにせまった、おかやま山陽高校。
 そのチームを率いるのが、2019年にはアフリカのジンバブエ代表監督も兼任した異色の経歴を持つ堤尚彦監督だ。その野球観を著書『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社、2023年7月発行 講談社発売)から抜粋して紹介する(全4回の1回目/続きは#2#3#4へ)

高校野球監督でありながらジンバブエ代表監督も兼任

 2019年5月。私は真っ赤な上着に白いパンツを組み合わせたユニホームに袖を通し、野球場のベンチに立っていた。グラウンド、ベンチで飛び交う言葉は英語。高校野球に詳しい読者の方々は、少し違和感を覚えたのではないだろうか。高校野球では、ユニホームの上下の色が異なる、“ツートンカラー”が禁じられている。さらにプレー中に発せられる言語は日本語ではなく、英語。そう、私はこの時期に開催される高校野球の春の公式戦ではなく、日本から約1万3000キロ離れた、アフリカのジンバブエ共和国の代表チームの監督として、20年に開催が予定されていた(新型コロナウイルス感染拡大の影響により、21年に延期された)東京五輪本選の出場を懸けたアフリカ予選を戦っていた。

 代表監督に就任するまでの経緯や直前の合宿の模様にテレビクルーが密着してくれ、予選終了後にテレビ東京系の番組『追跡LIVE! SPORTSウォッチャー』で特集が組まれた。「高校野球の指導者が、他国の代表チーム監督との二足のわらじを履く」という、おそらく前例のない挑戦だったため、放送には一定の反響があったと聞いている。本書の各章で詳しく記すが、この「野球後進国での野球の風景を、多くの人に知ってもらう」ことこそが私がジンバブエ代表監督に就任した最大の理由だった。

野球は“マイナースポーツ”

 日本では長らく“国内最大のメジャースポーツ”と言っても過言ではない野球だが、広い世界を見渡すと、決して盤石の存在ではない。私は大学卒業後、青年海外協力隊の一員として、1995年からジンバブエで野球の普及活動に従事したが、ジンバブエにおいて野球は、はっきり言って“マイナースポーツ”だった。

 ジンバブエで盛んなスポーツはというと、ラグビー、クリケット、そしてサッカーだ。よくサッカーが普及する理由として、「一つのボールと広場があればできるから」と唱える人がいるが、歴史をひもといていくと少々実情は異なる。

 高校社会科教諭の立場として言わせてもらうと、サッカーがこれだけ広まったのは、「イギリスが多くの植民地を持ち、その植民地でイギリス発祥のスポーツであるサッカーが根付いたから」に他ならない。半面、アメリカ、ニューヨーク州のクーパーズタウンで発祥したとされる野球はどうだ。イギリスと違い、アメリカは植民地をわずかしか持たなかったため、サッカーのような流れで競技人口を拡大することができなかった。さらに、ヨーロッパから独立した経緯を持つアメリカ発祥のスポーツという事情もあり、欧州各国でないがしろにされたという背景も絡んでくるだろう。

【次ページ】 JICA隊員、会社員としても「世界に野球を広める」活動

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