甲子園の風BACK NUMBER
高校野球“波乱の夏”の声もあるが…「常連校に勝つのはやっぱり難しい」甲子園経験者の私立高校監督が明かす、シビアなスカウト合戦
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byAsahi Shimbun
posted2023/07/31 17:59
三角裕監督が率いる駿台学園野球部。写真は2013年の東東京大会、この年ベスト16進出
「去年の駿台学園のエースだった桑島天(徳島インディゴソックス)は、中学の軟式野球部では控え投手でした。同期のエースは東海大高輪台に行ったんですが、最後の夏の東東京大会であたったんです。これは面白い対決になるかと思ったら、向こうの彼は控え投手で、出番がなかった。登板したのはヤクルトの石川雅規投手の息子さんで、桑島は見事に投げあって、8回2死までノーヒットに抑える好投でした」
1年生当時の桑島は、駿台学園の野球部に不本意で入った空気を出しており、いつ野球をやめてもおかしくなかった。だが、投げる際の体の使い方について三角が指導すると強い興味を示したそうだ。
「気になること、好きなことというのは、誰しも一所懸命にやるんですよ。桑島は、2年の秋からキャッチボールを格段にていねいにやり始めました。彼は、投げるときにどこを意識すればいいかのポイントを、わかってきたんです。そうすると、みんながキャッチボールをするときに、お手本ができるわけです。私も、他の選手に向かって、『桑島のキャッチボールを見てみろ。かなりいいぞ』と言ってやる。目の前に上手なお手本があることは、チームにすごくいい影響を与えます」
いま、どの試合でも、三角は選手を乗せたバスを自分で運転してグラウンドに向かう。行き帰りの車中では多くの選手が寝ているが、時折じっと集中している選手が現れる。その姿を見ると、三角は彼の意識が変わったことを実感する。決まってそういう選手はいいプレーをするという。
伊奈学園、東大、駿台学園で何人もの原石をみがいてきた三角だ。その研磨技術は職人レベルなのだろう。しかし、今や原石ですら入りにくくなるほど高校野球人口は減少の一途をたどっている。大宮高校監督の蒲原も「野球部東大プロジェクト」を立ち上げて生徒集めに奮闘しているが、三角もそんな野球界の現状をひしひしと感じているという。
教育現場も高校野球も、時代の流れの中で、苦しい状況にさらされている。指導者たちは、限られた資源を活用して、いかに突破するかを日々工夫していく必要があろう。東大野球部OBの監督たちは、その最前線で奮闘し、日本の未来の野球界を担う原石をみがき続けている。