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「試合前はスープだけ…隠れておにぎり食べる選手も」横浜ベイスターズ“暗黒時代”の悲哀…「勝てないとわかってた」山下大輔はなぜ監督を引き受けたのか?

posted2025/04/22 11:05

 
「試合前はスープだけ…隠れておにぎり食べる選手も」横浜ベイスターズ“暗黒時代”の悲哀…「勝てないとわかってた」山下大輔はなぜ監督を引き受けたのか?<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2003年から2年間、横浜ベイスターズの監督を務めた山下大輔氏。当時、球団は長い“暗黒時代”に足を踏み入れつつあった

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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Hideki Sugiyama

26年ぶりに手にした日本一。だが横浜DeNAベイスターズが栄光に至るまでには、長く、忘れがたい“暗黒時代”があった。勝率が3割台に落ち込み、年間100敗も現実味を帯びていた2000年代前半。当時の指揮官は「とにかく勝てないベイスターズ」でどう活路を見出そうとしていたのか。2003年から2年間、チームを率いた山下大輔氏に話を聞いた。(全3回の1回目/第2回第3回へ)

チームの礎作りに殉じた「もうひとりのダイスケ」

 昨年、26年ぶりの日本一となった横浜DeNAベイスターズ。指揮官である三浦大輔監督は1950年の球団創設以来、初めての球団生え抜きによる優勝監督となった。だが忘れてはならない。遡ること20年前、この球団にはチームの礎作りのために殉じた「もうひとりのダイスケ」がいたことを。

 山下大輔。オレたちの大ちゃん。

 不遇ともいえる時代にも、その明るさで前を向き続けた大洋ホエールズのプリンス。2003年、球団の生え抜きとしては近藤昭仁(1993~95年)以来の監督に就任してから2年間。結果は圧倒的な最下位ながらも多村仁志、村田修一、内川聖一ら若手野手を積極的に起用し、チーム育成に殉じた信念の人。誠実、ひょうきん、人の悪口を言わない。誰からも愛される稀有な人柄で、2005年に新球団・東北楽天のヘッドコーチにも請われ、2012年にはDeNAとなった古巣ベイスターズからも再び二軍監督、GM補佐などの要職を託されている。

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 御年73歳。昨年は出身地静岡に誕生したくふうハヤテベンチャーズの初代GMに就任し、NHKでMLB解説を行うなど、現在も精力的に野球界に携わっている。昨秋、ベイスターズが日本一となり恵比須顔がさらにほころぶ仏の山下大輔氏が、“勝てなかった頃のベイスターズ”を語る。

◆◆◆

「監督なんてまったく考えていなかった」

――三浦大輔監督の前のダイスケ監督である山下さんが監督になったのは、22年前の2003年のことでした。

「そうだね。だいぶ昔になっちゃったね。もう記憶が飛んでいることもあると思うので、話しながら思い出していければと思いますよ」

――山下さんは1998年の優勝時は権藤博監督の腹心であるヘッドコーチでしたが、2000年に権藤さんと共に退団。ベイスターズは2002年についに最下位に沈み、その後、干支一周で9度の最下位となる時代の幕が開きます。2002年9月に森祇晶監督の解任を受けて、監督就任の要請を受けた時、山下さんはどんな状況だったのですか?

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