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「忘れられない警察の取り調べ」東大を卒業して高校野球監督になり、“不良”野球部員から学んだこと「昔はバックネット裏で勉強させていた」

posted2023/07/31 17:58

 
「忘れられない警察の取り調べ」東大を卒業して高校野球監督になり、“不良”野球部員から学んだこと「昔はバックネット裏で勉強させていた」<Number Web>

熊谷高校の監督時代、ノックを行う蒲原弘二郎(東大野球部出身)

text by

沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

PROFILE

東大野球部員の多くは一流企業に就職する。その詳細はこれまでの記事でも伝えてきた通りだ。しかし、そのような道ではなく、高校の教員となり、高校野球の監督になったOBがいる。彼らはなにを思って教師になり、どのような指導を行っているのか。【全3回の2回目/#1#3へ】

◆◆◆

「どうしても野球をやりたい」4浪して東大に入学

 今年3月、埼玉県立大宮高校のグラウンドで大宮高校、開成高校、駿台学園高校の野球部による練習試合が行われた。公立と私立、埼玉と東京と、一見なんの関係性もないように思える3校だが、じつは共通点がある。3校すべての監督が東大野球部のOBなのだ。

 開成高校の監督は青木秀憲(1995年卒部・太田)。その独特な指導方針と強烈なキャラクターについては、過去記事でたっぷり紹介しているので、ぜひご覧いただきたい。

 駿台学園の監督の三角裕(1983年卒部・県立浦和)は、1997年から2004年まで、東大野球部の監督として采配を振るっていた。三角が監督に就任した年の新入生として東大野球部に入部したのが、現大宮高校野球部監督の蒲原弘二郎(2001年卒部・東邦大東邦)だ。

 蒲原は、高校時代は椎間板ヘルニアを患って野球を断念したが、野球への思いは断ちがたく、「大学で野球をやりたい。東大なら野球部に入れるだろう」と、4浪して理科2類に合格して東大野球部に入った苦労人である。

「2浪しても東大には合格できず、結局慶應に行きました。慶應の野球部なんて入れるわけがないので、1年間はごく普通に学生生活を送っていたんです。ただ、やはり東大野球部への未練があり、また受験勉強を始め、大学2年生のときに合格し、結果的に4浪して東大に入れました」

「あぁ、終わったな」4年間の最後が完全試合だった

 紆余曲折を経て、22歳でようやく東大野球部への入部が叶った。しかし、ピッチャーとしての選手生活は、順風満帆とはいかない。高校2年から浪人の1年目まで病院に通い、10センチ以上の鍼を打つ治療で徐々に体を取り戻したはずだったが、大学2年の頃に肘が痛くなり、ヘルニアも再発して思うように投げられなくなった。

【次ページ】 「あぁ、終わったな」4年間の最後が完全試合だった

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