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まさか…「大阪桐蔭」初陣は公立校に初戦敗退「第1期生」今中慎二が振り返る“常勝軍団”の黎明期「100人いた同期生が5月には半分以下に」
posted2023/08/02 11:01
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Nanae Suzuki
各地で波乱が話題となった今夏の高校野球とはいえ、準優勝でニュースになるのはこの高校くらいだろう。大阪桐蔭が大阪大会決勝で敗れ、6季連続の甲子園を逃した。しかし、相手はセンバツにも出場した履正社。4年前に全国制覇した宿敵である。ただし、夏の直接対決に限れば大阪桐蔭が12連勝(2020年の独自大会では履正社が勝利)中。決勝では4戦全勝と圧倒しており、今回も大阪桐蔭有利というのが下馬評だった。
ところが、ふたを開ければ3安打に封じられ、夏の大阪では実に33年ぶりという完封負けだった。激戦区・大阪であと一歩及ばず敗者となったことが「衝撃」と受け止められる。平成以降、他を圧する強さを見せつけてきた大阪桐蔭にも黎明期があった。
「分校」からの第一歩
PL学園の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が夏の甲子園を制し、有終の美を飾ったのが1985年。翌86年に「大阪桐蔭」に入学したのが、のちに中日ドラゴンズに入団し、沢村賞を獲得。エースとなる今中慎二だった。しかし、当時の校名は「大阪桐蔭」ではない。大産大高大東校舎。生徒数の大幅増を見込んで、新たに大東市内に開設された分校だった。
「僕らの代は、なぜか大阪の中でも一番人気でした。シニアやボーイズのトップクラスの中学生が集まっていたと思います」